その後のVケロ

お腹をどど〜んと縦切りすると、ちょうど傷の両端部分(胸のほうの剣状突起あたりと恥骨あたり)がケロイドになりやすい。

胸のほうは当たってもあまり痛くない下着にして、さらに「マイクロポアメディカルテープ」を貼り続ければ、まあセーフって感じなんだけれど、Vケロ、すなわち恥骨あたりのケロイド対策にはテープはちょっとね〜、で今回、薄手のシリコーンジェルシートを大きくぺったり貼り付け作戦を遂行中。(「消費税前に買ったもの」

で、ただ今、どーなってるか。

カンペキ!と言いたいところだが、高さ1mm程度、なんとはなしに盛り上がってる。そんなところで盛り上がらなくてもいいのに。

貼り続けているとかゆくなるから始終つけているわけではないのと、ジェルシートの粘着力と下着で押さえているだけで、しっかりくっ付いていないから、効果がイマイチなのだと推測。ガードルでも履いたら圧着効果は上がりそうだが、暑いな今は。。。

今後放置すればもっと盛り上がってしまいそうなので、とりあえず今のままジェルシート貼り付け作戦は続行決定。あと、塗り薬もやってみようかな。

さて、もこもこさんもVケロ所有者なんだけど、

その後のvケロちゃん(゜∀。)~全長31センチの名誉の傷あと⇒上部の胃あたり2センチと下部vあたり1,5センチの盛り上がりエグイケロちゃんは、健在です。他の傷は、細い線状態ですよ。~まるでチャウチャウ犬(▽・w・▽)の様なダブついた腹部に馴染んでます♫
一時、友達の乳がん術後の傷痕消しテープ?!らしいものを貰って貼りましたが効き目なしでした。
傷痕は、あんなに凄い手術をした証だからvケロちゃんは残しましょうヽ(・∀・)ノ

とのこと。最後の1文がいいね〜。あっぱれ。

それに比べると私はまだまだ小さいよ器が。

平和がいいっす

腹膜偽粘液腫がわかったとき、大学病院の先生から「これからの時間を有意義に」的なことを言われた。今じゃしっかり治療して、最低20年は生きる気満々なので(で、20年経つうちには治る薬ができてるので完治しちゃうという予定!)そんな深刻に考えてはいないけれど、、、

一度、死を意識すると、生きてることの愛おしさが出てくる!

で、同じ生きるなら、嫌な気持ちで過ごすのでなく気持ち良く過ごしたいと思う。

人間関係やちょっとビンボーなこととかは、もしかしたら考え方を変えればどってことないことになれる気がする。

だが、自分の考え方だけではいかんともしがたいものも多い。戦争とか。

意見を押し通そうとして結局武力行使になるのだろうが、そもそもなぜ相手がそのような態度なのか考えることで、なんとかお互いをわかりあう道が見出せないだろうか。相手を悪と決めつけてしまう前に。

生きてることの愛おしさを、戦争をしかける人たちにも知ってもらいたい。自分だけでなく、他人の命も愛おしいことに気づいてもらいたい。

コメントがアップされませんか?

先日、NEWさんのコメントがなーぜーかスパムのほうに入っちゃって申し訳ないことをした。NEWさん、ごめんなさい!!

さて、この「ぽんぽこ日記」のコメントなんすが、現状、

初めての方はすぐにはアップされません。スミマセン。

スパム対策で、まず私のところにメールが届き、認証するとアップされる仕組みです。スパム以外は基本的にはどんな内容でも認証しまっす。だけど人の悪口とかはやめてけろよん。

2回目からは認証しなくても即時アップされます。

ところが、

端末が違うと「初めて扱い」になります。

スマホ変えたとか、違うPCから送ったとかだとそうなります。

あと、その他にも何かある気がします。。。あまり詳しくなくてすみません。

こちらも何か良い方法を考えたいです(って考えるのは大家サンなんだけどね)が、今はこんな感じですので、すみませんがご了承ください。一応、もし私が入院とかしちゃっても、大家サンに認証してもらいます。

なお、たまたま私の連絡先がわかっていてコメントが載らないんだけど?と思った方は、恐縮ですがご連絡くださいませ。

難病対策 or がん対策(「今後に向けて」編)

暑い。気づけば8月。早い。

で、ようやく表題の最終編。

先週の金曜(7月25日)、腹膜偽粘液腫患者支援の会が、厚生労働省健康局がん対策・健康増進課に陳情というか要望というか確認というかに行ったのである。って書くと他人事みたいだけれど、実は行ったのさ! メンバーは代表の藤井さん夫妻&患者3人(HIMEさん、Iさんという女性、私)。がん対策・健康増進課からは課長補佐、主査、その他、勉強のために見学に来た若い人が同席したんだけど、主査の方がメインで対応された。

今回は渉外係的役割をたまたま私がさせていただくことになり、一応準備なんかもしちゃったりして、臨んだ。

そのときの内容の詳細は、会の「ご意見・ご感想」の[1597]に出ている。

確認したことは、腹膜偽粘液腫もがん対策(希少がん)での検討対象として取り上げる、ということ。

が、まだ、希少がんの種類を今年度中に議論する段階で、さらに腹膜偽粘液腫のように難病対策なのかがん対策なのか狭間にある疾患がいくつかあり、今後、省内で平行して話し合っていく、みたいな、、、

私たちは、疾病対策課から腹膜偽粘液腫は難病対策の対象外と言われた旨、伝えた。省内ではまだ擦り合わせができていないようだが、どちらからも「あっちへ行け」って言われたらたまらんYO!

主査はとても心ある方で、腹膜偽粘液腫が狭間に落っこちたままにならないよう対処する旨仰ったので、とりあえず胸を撫で下ろしたのだった。

以上から今後の方向性を考えるに、がん対策の中の希少がんとして検討されることになりそうで(決定ではない)、今後、そちらへ私たちの具体的要望を出して行くということになろうかと。

腹膜偽粘液腫が希少がんの議論に上がっても、例えば「大腸がんの治療しときゃいいじゃん?」みたいに言われては甚だ困るので、いかに対策を必要としているかをお伝えしておかなければならない。そう思って、この日もどんな状況であるかも、がん対策課にお伝えした。

喫緊にご対応いただきたいのはやはり、現在進行中の研究の推進である。今、米村先生のご研究とかイイ線行ってるじゃん? 昨年度まで難治性疾患克服研究事業として補助金が出て、報告書の青い本とか見ると未来は明るい!って感じ、スッゴイする。なのに、今年度、難病対策からは補助金は出ないわけで。研究費出ないと、研究が立ち行かないって、、、立ち行かないなんて、、、シンポジウムの時にも研究費出たら印鑑細胞がん患者に福音となりそうな薬を使いたいみたいな話、先生してたし。。。研究費出なくて生きられなかった人とかいたら、と思うと、アンタどーしてくれるのよっ!?

と、そんなこんななことを訴えたのであ〜る。

今後、希少がんについての公開審議会なども開かれるようである。ガッツリ見守っていきつつ、「すべてのがん患者に」ってのが絵に描いた餅でなく、ちゃんと対応してもらえるように働きかけていかねば〜〜〜。と思いました。

癒着サマ

開腹手術をするとお腹の中はどうしても癒着を起こしてしまう。でも、そもそも手術の傷がくっついて治るのは癒着のお陰でしょ〜、ハーそーですよねそうですけどね、だ。

オラ「普通、くっついちゃいけないのにくっつくことを『癒着』って言うんだよ。傷がくっついて治るのは『治癒』だってば!」

癒着「それは人間の都合で言い換えてるだけだろーが。」

オラ「開腹手術は何回できるかなんて話になるのも、癒着を剥離しきれなくなっちゃうからじゃないの?」

癒着「腕次第だろうが何度も切れるんじゃね? ま、とりあえず、アンタのお腹に癒着防止シートは入れてたけど。」

オラ「んじゃ、なんでこんなに亞超閉塞症とかになるわけ? え?」

癒着「なこと、こちとら知りませんよ。すぐそーやってキレるのな。」

オラ「いらんとこ、くっつきおって!」

癒着「はあ? もし腫瘍細胞がお腹に散っても、癒着していればそこの部分には行けないみたいな話、ヨネ先生はしていなかったっけかねー?」

オラ「そうだったっけ。。。だとすると癒着もまんざら悪くない。」

癒着「ですよ? わかったら、これから『癒着サマ』とお呼び!」

なんだか変なキャラにいってしまった。おしまい。

亞腸閉塞症

「難病対策 or がん対策」の続きは、7月末に記すことにした。患者支援の会が厚生労働省の「がん対策・健康増進課」に行くことになったから、その後のほうが良いかと。で、今日はまたまたマッタリと(?)腸閉塞の話っス。

このところ会社のあれこれでヘトヘトで腸に来てしまい、やっぱりというか先週金曜の夜遅くにプチ腸閉塞に。翌日には開通して痛みはなくなったけれど、いつもと違う。。。

お腹ポーッコリ、ウエストサイズがとんでもなく大きくなっていた!

腹膜偽粘液腫になると、これは恐怖以外の何ものでもない。ま、まさか1日で腹水が?  ま、まさか腹水は1日にしてならず。ま、まさか腹水盆に、もういいって。

その後、何度となく便が出てお腹の張りはかなり解消された。が、まだ完全に引かない。もしやただの贅肉か? もしやこんなに贅肉が? 以下略。

腹水とは思わないけれど、いつもとは違う事態。さらにこんなにプチ腸閉塞になっていては、業務上困る。岸和田でもらった大建中湯ももうないし(正直、効いてるのかわからないのだけど)。ということで、久しぶりに銀座医院で二見先生に診ていただいたのだった(ちなみに亀山先生が不在中で、移転した医院は綺麗だったけど待合室は前のほうがのんびりできたよなあ、な感想)。

へそ事変後は行ってなかったから、おへそは結局どーだったかから話して現状説明。

「腹水ってことはないよ。」

と二見先生。わかっちゃいるが、それでも先生に言われればホッとする。腹水はすぐに引いたりもしないらしい。で、これは「亞腸閉塞症」(サブイレブス)と言うのだそうだ。私はプチ腸閉塞と呼んでたけどね。コンプリートな腸閉塞のちょい手前ってことね。

で、お腹が膨れているのはガスらし〜〜っス。また、胃やら腸やらから6Lくらい水分を分泌するのに、腸が働かなければ吸収もできないらしい。なるほど、レントゲンのニボー像って空気と液体があるからあーなるんだって、以前、亀山先生が言ってたし〜。

詰まっているときにCTを撮ればより場所などがわかりやすいのだそうだが、もう流れてはいるのでせず触診をしたところ、右下腹部が関所になっているっぽかった。

やはり癒着でそうなるのだろうが、疲れると出るわけで。免疫力が落ちてもなるとのこと。そして先生に大建中湯&ガスモチンを処方していただいた。

「薬がある間は良いとしても、なくなったらまた出してもらえるんですか?」

「出すよ。漢方は飲み続けて改善するんだから。大建中湯は2倍量飲んでもいいんだけど、、、(私の顔をのぞき込みながら)なら普通の量で。これでリズムをつけて。」

腸はリズムが大事なのかもしれない。

二見先生は「腸閉塞はこれまでいっぱい診てるし、お腹のことはドーンと任せろ!」的な感じなのと、日本医大にSugarbaker先生が来た話もされて腹膜偽粘液腫の手術に理解がある。亀山先生ともども、いろいろ相談に乗ってくれそうで助かるっス。

言い忘れ追加:今まさに(亞)腸閉塞中!なときには、大建中湯とか飲んじゃダメなんだそう。交通渋滞のところを無理やりアクセル踏んだらさらにひどくなっちゃうし。

もひとつ言い忘れ追加:治すときには絶食して(栄養摂るのはもう点滴!)しっかり腸を休めるか、エンシュアリキッドとかだけど味がって思うならまあスープとか、かなり消化良いもので数日過ごすと良いと。というわけで、昨日はスープと我慢できずに温泉卵で過ごしたけれど、本日は先ほどおせんべいを食べてしまいました。。

3年経ちました

3年前の今日の「ぽんぽこ日記」は「術後8日め」で、ドレーンを切って排液グチョグチョだった、らしい。その後退院してそんなに経っていない頃の写真を見ると、うおぉぉお〜ってほど痩せていて「お疲れ! あの頃のワタシ」って思っちゃう。

手術を受けて、元気になれて、良かったなあ。。。

あれから3年経ち、世の中のほうは原発事故関係が収束せず、津波で家を無くした人がまだ仮設住宅に住まざるを得ず、シリアはいよいよ内戦がひどくて、それから日本の集団的自衛権のことだって悩ましい。

私の仕事のほうも相変わらずというか、さらにキビシイ状況でただいま奮闘中。

そして、自分が難病対策やがん対策を熱く語っている、なんてことは、3年前は想像してなかったYO!

なんだかんだ言いながら、生きている〜〜。

カンケー各位には感謝感謝、重ねて感謝申し上げるっす!!

難病対策 or がん対策(ちなみに指定難病の決まり方編 続き)

昨日の続き。引き続き、私の考えや(慌てて書いての勘違いも)あるだろうからご了承を。

指定難病の選定手順は、

指定難病選定のための疾患の整理を、厚生労働科学研究補助金事業の研究班が実施。
(平成22年度から「今後の難病対策のあり方に関する研究班」が学術的な事実関係の整理及び情報収集を、現在行っている。)

厚生科学審議会疾病対策部会の指定難病検討委員会(第三者委員会)が審議。
(昨日投稿したとおり、研究班が整理した医学的な事項をもとに、医学的な見地より、要件を満たすか審議する。)

疾病対策部会に審議の結果を報告。
(審議を行う際は、定難病検討委員長ほか患者代表が参加を求められることも。患者が直接何か言えるとしたらココ。)

疾病対策部会の議決。

厚生労働大臣が指定難病を指定。

である。

難病法施行は来年(平成27年)からで、先日の陳情の際に疾病対策課長から伺ったこととして、
来年1月 第一次実施〈既存疾病+新規疾病(先行分)〉で、前倒し実施
同年7月 第二次実施〈新規疾病(先行分以外)〉となり、完全実施
ということで、準備中ということである。

あの時、疾病対策課長から、腹膜偽粘液腫は難病のほうでなくがん対策へ、という話が出て、その時確認したことは、指定難病検討委員で審議される疾病は「前段階」で整理されており、要するに腹膜偽粘液腫は「前段階」の整理で振り落とされている、といったニュアンスだった。

腹膜偽粘液腫は、指定難病検討委員会の審議の俎上にすら上らないのである。

なお、第一次実施の疾患は文句なしの疾患となるだろうから、もしや難病に指定されるかも、と思うような疾患は第二次実施のほうになる。

陳情の際、今後署名を集めたところで無駄で(温情や主観は一切排除)、医学的に審議する疾病を取り上げる的な感じで疾病対策課長は仰っていた。

結局のところ、前段階である「今後の難病対策のあり方に関する研究班」の研究によって、腹膜偽粘液腫はがん対策に回ったほうが良いということになったと思われる。だとすると、次の話も合点がいく。

ここ数年の、難治性疾患克服研究事業に指定されていた米村先生の研究について、今年度はがん対策のほうに応募してくれという指示があったらしい、って話。

難病対策 or がん対策(ちなみに指定難病の決まり方編)

シャバ活動が忙しく、なかなかこっちが進まず。なんて言うと「良いことじゃないですか」と言われちゃうけど、正直、今の状況はツライ。歯をくいしばってる感じ。ぢっと手を見る。。。

それはさておき、今日こそ「指定難病の決まり方」について、投稿しちゃうずら! 私の考えが多分に入っているということを先に言っておくずら。(ここでは、難病に指定後の医療費助成のレベルの話は無視しちゃうずら。)

え〜先般、腹膜偽粘液腫の難病認定の署名とともに陳情に参って撃沈したわけだが、その翌日である5月28日、「平成26年度 第1回 厚生科学審議会 疾病対策部会」が開かれ、議事録が厚生労働省健康局疾病対策課から出されている。

ざざっと斜め読みなんだけど、第三者的な委員会として設置される「指定難病検討委員会(仮称)」が指定難病の選定をする。で、この委員会が「これまでに研究班が整理した医学的な事項をもとに、医学的な見地より、個々の疾病について、指定難病の要件、それぞれの要件を満たすかどうかの審議を行う」とのこと。

医学的な見地 ←ここ重要。試験に出る。って試験なんてナイyo。

さて、この委員会の選定結果は疾病対策部会に上がってきて、そこでとりあえず患者当事者(患者代表)が意見を言う場あり。そして議論して最終決定となる。

ちなみに、指定難病は固定ではない。「指定難病に指定されていない疾病のうち、指定難病の要件を満たす可能性があるものがある場合」と「指定難病として指定をされている疾病について、効果的な治療方法が確立するなど状況の変化が生じた場合」に委員会が持たれる。指定難病であっても、治療方法が確立すれば当然、難病からはずれることとなる。

それにしても難病はたっくさんあるわけで、それをどうやって選別していくか、なんだけれど、もうザックリは決まっているっぽい。先に出したように、「これまでに研究班が整理した医学的な事項をもとに」と、今まで難病対策でやっていた研究のことを基本にするわけだから。それより、どの程度まで医療費助成するかが問題、みたいな。

この話は、まだまだ続くんだけど(陳情に行ったときに聞いた話とのからみ)、これから出かけなきゃいけないので帰ってきたら。今日は途中だけど投稿しちゃうずら!

うなぎ画像

難病対策・がん対策の続きはもちろん、混合診療のことで思うこと、お仲間のこと、自分の最近の調子、、、投稿したいこと満載で、それを一つずつアップしていくかと思えば逃避癖で、今日はうなぎ画像を貼ることにしたっす。

池田病院近くの「うなよし」の白焼き。去年の7月の画像。これは投稿済みだったかな。春に池田病院に行ったときも食べたかったのに、同行者の弟が待ち時間にコンビニのおにぎり&手巻き寿司をいくつも食べてしまい、「お腹空かない」と拒否されて食べられず。。。

 

2013-08-11 16.13.10 のコピー

昨年8月、従兄弟にご馳走になったうな重。伯母が亡くなり、従兄弟が母親(伯母)とよく行ったという店に私たちを連れて行ってくれた。

その1か月前、伯母を見舞いに病院に行ったら「そのお名前の方は入院していません」と言われて、病院間違えたかと従兄弟に電話したら、、、ちょうど家族葬の最中だった。見舞いには間に合わなかったのだ。。。

母から伯母(母の姉)の見舞いに連れて行ってと私に電話が来たのは、池田病院の帰り道で、それは米村先生から手術と言われた日で結構凹みながらの高速道路でだった。

そのちょっと前に母と弟は伯母を一度見舞っていた。従兄弟や弟の話では、しばらくは安定しているだろうのことで、自分自身がやたら盛り下がっていたので「明日は勘弁して。来週に行こう」と母に言った。

ところが翌週、そういうことだったのである。母はもう一度、伯母に会いたかったから、1週間延ばした私を非難しまくった。こっちの言い分は、足腰の元気なうちに会いたいだけ会っておけば良かったのに今さら何よ?なんだけど、いよいよ、という時に姉妹が会いたいと思う気持ちもわからないではないし、もしあの時、母が会いに行ったら、伯母も楽しくなってもう少し生きたかもしれず、申し訳なかったと思う。

「親戚もみな高齢で呼ばれるほうも大変だからさ、いろいろ済んでから通知しようと思って。でも、pomちゃんたちにはバレちゃったね。」

従兄弟はそう言って、お悔やみに行った母、弟、私を伯母との思い出がある鰻屋に連れて行ってくれたのだった。

 

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会社の近くの鰻屋のランチ。移転前は会社の本当にすぐそばに有名な鰻屋があり、非常口に立ったら白いご飯が食べられるくらい蒲焼きフレーバーが漂っていたな〜。

鰻を食べるっていうのは、私にとってはすごく特別なことで、何かないと食べない。っつーか、高くて食べられないし。ランチで食べるなんて、本当に珍しいことだ。珍しくなきゃ、写真なんて撮らないし〜〜〜。

ニホンウナギがレッドリストに載ることになっちゃって、いよいよ遠い存在になっていく。わたし待つわ、いつまでも待つわ、もっとたくさん鰻が殖えるまで〜。

あ、国歌斉唱おわった、、、サッカー気になるんで、今日はここで。