11月の雨
今月は誕生月で、ここ数年は憶えていてくれる一人の友達(thx!)から素敵なメールをいただく以外何も無く過ぎ去るわけだが、今年もそうだった。自分に対しても、コンビニでカップケーキを買って酒もちょっと多めに飲むくらい。間違って家族でも持たないかぎりはずっとこのまま過ごせる。
ただ今年は大台の一歩前に来たということで少しだけそのことを考えてリズムが狂った。50年近く刻々と見聞き感じたデータが出入りしたと思うのだけれども、それらはどういう保存のされ方をしているのだろう。忘れても仕方が無いような些末な事が何かの拍子に(匂いとかまで伴って)鮮明に蘇ることがある。でもそういうものって意識的に引き出そうと思っても出て来るものでもない。それをある程度コントロールできるかどうかは人間というシステムの性能の善し悪しの一条件には違いない。
ただ、行動の動機付けをするブブンについては多分19歳の頃とたいして変わっていないと感じる。だから切るカードは同じようなものなんだ。ただ同じカードを切るにしてもそのバックグラウンドに変化があり、切るタイミングや切り方は洗練されたり、逆に混乱してぐだぐだになったり。バリエーションにしても多くなった部分もあれば逆に硬化してつまらなくなった部分もあると思う。
年齢のことを考えたのは久しぶりだった気がする。といっても脳をはじめとする各パーツの年齢なりの到達具合を確認してみたわけで、老後がどうとか等の設計は未だおざなり。まあ、老後なんてモノが来るかどうかは判らないが。
各パーツにしてもそろそろ専門技術者(医者)にチェックしてもらう必要があるとは思っている。今回も自己診断(判断)でしかなく、50年ものあいだ大過なく機能してきてくれたことに、もちろん親やその前の先祖も含め感謝したい思いなのだ。ニンゲンって良く出来ている。
今年の11月は雨が多いような。今日も雨。たっぷり水を含んで次を考えよう。