九段
靖国神社から至近距離のところに住んでいたことがある。最初、やっぱり東京の神社はでっかいなあという印象とともにその存在の意味については漠然としか知らなかった。でかいだけでなく、僕の田舎の神社とはどこか雰囲気が違うとも感じてはいた。今でもやっているのかな、神社で催されたちよだフェスというお祭りには屋台や出し物、広場では無料コンサートが行われ懐かしい上々颱風が来たんだっけ。
今はもう少し知ったし、最近では「小銭一枚で中韓に喧嘩を売った」と言われたあのニュースも見ている。
中韓については、自分のことを棚に上げて何を言うかという気持ちがないではない。ただ、それこそ他所は他所で、日本が先進国というのならそれなりのもう少し賢い判断をできないものかとも思う。靖国問題に限らずあちこち先送りや留保だらけ。そんな中でも政治や外交は日々執り行わなければならない。それはそれで大変なテクニックだとは思うけれども。
神社の内側の方々は当然その神社の有り様を守り続けようとするだろう。この国のために戦で死んだ人たちは等しく尊く、奉り守って行くという立場なのだからそれはそうするのだろう。そういう考え方は分からないではないし、当然在ってもいいと思う。ただそれは歴史と司法判断、政治やら何やらの流れを無視せずに物事を進めるのなら、今のこの国の主軸には置けないのではないのかな。前の戦争については確かにその責任がある等、踏まえるべきところを踏まえて積み重ねで考えて行って欲しいと思う。靖国なら靖国でもいいとは思うけれども、内外、特に国内において多くが納得するような思想方針の整理、太くて時流などによっても簡単に折れない主義を備えてからの事ではないか。
小泉・前原党首討論で小泉さんのこんな言葉に引っかかった。「一国民として憲法19条で保証されている思想良心の自由に基づいて靖国にお参りしている」とのこと。首相という立場に立ったら靖国に限らず自らの思想や信条は多かれ少なかれコントロールしなければならない部分というのはあるのではないのか。