tumblr(使用中のツールあれこれ1)
最近使っているツールについて覚え書き的に書いとこうと思ったら、多分仕事のアレやコレやが押し寄せてひとつ前のような事を書き始めちゃったんだろうな。
そういうわけでtumblr。ともあれこれが今一番面白い。ほとんど画像のスクラップに使っていて何かしらキモチに引っかかったモノを放り込んでいる。それを後から眺め返すと、大げさになっちゃうけれども自分が何者だったかが何となく思い出されるような気がしてくるんだ。
仕事によって長年自分の本来の感覚をさんざんこねくり回されてしまっていたことに気付く。ああ、ここにいたんだよなあとか、ここから来たんだよなという輪郭が見えてくる。それがとても面白くて淡々と続けている。ダッシュボード内でフォローしている他の人のストックの中から自分と重なるブブンを見つけたりするのもまた良い。それをリブログするかどうかで自分のラインを見直すのもさらに面白い。
画像のクリッピングや文章の引用というと一方で著作権がどうとか騒ぐ人がいる。著作権の話はオリジナルからそのテイストを残しつつコピーしてそれを再販したり悪用した時に発生するものだと思っている。実際にはもっと厳しくなっているが。
印刷に使うようなイラストレーションはデータならそれなりの解像度が必要だし、ドローイングからオリジナルに近いコピーを作るならそれなりの技術が必要だ。
低解像度の所謂サムネイルを自分用にスクラップする、それを見かけた人が同じような理由でリブログするということはセーフだと思う。例えばサムネイルでも人の興味を引くものを集めてそれをアフィリエイトに使うとか、モロ再販するとかはアウト。
この辺の線引きは一定のガイドラインは必要だけれども厳密に決めすぎるとおかしなことになる。著作者の考え方・感じ方や環境によっても違うからだ。実際に今現在もグレーゾーンを設ける事でうまくいっている部分もある。僕自身は自分のアイデアをパクられてそれが商売として成立していたりした時には軽蔑し憤慨した。でも自分の仕事について知らないところで話題になったりしてそれが回り回って新しい仕事に結びついたりしたらものすごく嬉しい。それって割合一般的な感情なんじゃないかな。また、業界内で誰かの仕事について建設的な噂を立てる事はよくある。今度のあの人の仕事はあーだこーだと。誰かの素晴らしい仕事の中に自分に生かせるヒントがあればそれは記憶するしそのために記事を切り抜いたりスクラップにしたりもする。それはパクリとは違う事だし、そういうプロセスをふまないで今までの世の中に存在しなかった全く新しい創作をする人などひとりもいない。
作品を世に出すというのはそういう事だし、子供たちはドラえもんを見たらノートに描いてみようとする。暗黙の何とやらが通用しなくなって下品な輩が増え…などと言い始めるとさらに取留めが無くなる。
最後にひとつ。では自分のハードディスク内に全く個人的にストックしていけばいいのではないかと考えてみた事について。これは上手く言葉で説明できないのだけれども、ネット上で見たい人は見られる(オープンな)状態で取捨選択をしてくこと自体に何か意味があるように感じる。知らない国の知らない人のストックからこれはってものを見つけてリブログしたり逆のことが起こったりする中で何か「織りなすもの」を感じているのかもしれない。