ice cream castles in the sky

Posts By klois

某党の総裁選を見てた

一昨日は自民党の総裁選があり高市早苗氏が当選。順当にいけば総理に就任するのかな。ただ個人的には半々かなと思っている。例えば国民民主党と連立するなら総理は玉木さんにするのではないか。さらに言えば立憲との大連立の後野田総理再誕生ということもあるのではないかとか。妄想。

もし高市さんが総理になるのなら日本の頭としては卑弥呼、北条政子に次ぐ3人目の女性となるのだろうか。表向きは女性男性の区別はない時代とはいえ、そのことはシンプルに面白いのではないかと思う。トップが女性というだけで少しだけ柔らかな気持ちになるというのは呑気が過ぎるのだろうけれど。
また彼女による右傾化が言われるけれど、ある方面が想像するほどそうはならないだろう。そんなに単純なことではないと思う。そもそも右だ左だ言っている時ではないのよ。政策も防衛も核融合等未来のエネルギーも必要なものは必要だしそれをどう現代から将来にかけての世界の形に当てはめていくのかということ。世界というか宇宙だな。地球の自然のこと、さらに宇宙のことに思いを広げられない政治家は駄目だと思う。

自然といっても、緑の回復とか温暖化がどうとかいう近視眼的なことではない。何なら人間自体が自然の一部なのだから。人間がやりたいように発達し木を倒し山を崩し海を埋め立ててコンクリートを被せるのも地球の自然なのだし、ちょっとやりすぎたなと数歩引き返すならそれも自然なのだ。

その末に地球が破滅したとしてもそれも「自然」なことだし、いやその前に地球は寿命が来て住めなくなるのかもしれない。その時人類としてはそれを受け入れるのか、宇宙の中に新天地を探すのか。そんな事態になっても新天地の土地がどうとか自国を優先させたいとか相変わらずの駆け引きや争いをするのだろうな。「進化」によって新しい人類が大多数になっていない限りは。

余談すぎるけれど、高市さんは同級生らしく、だとすると古井戸の「さなえちゃん」はもちろん聞いているのだろう。ははは。

この短い秋のこと

大きな仕事は山を超え、最後の工程。印刷物でもそうだけれどいまだに入稿作業が一番緊張する。WEB作業は尚更。最後に本サーバに載せる時、表示されるまでのあれこれ。たまらん。WEBのほうがより緊張するのはまだ完全には慣れていないというか、仕事を見通せていないのだろうな。

昨日今日と家に工事が入っている。昨日は子供の頃自分の部屋として使っていたプレハブ6畳の撤去工事。元々母屋にあった「勉強部屋」は3畳間で、悪くない部屋だったのだけれど、我儘だった子供時代、ねだって建ててもらったのだった。そこそこの年齢になり使用期間が終わった後は妹が自室として使った。その後は何十年もかなり雑な物置として使っていたのだけれど、諸々整理もできてきたので老朽化もありこの際撤去することにした。流石に少し寂しかったが、その跡地に立ったら元々その建物が無かった頃の記憶が蘇ってきて気持ちが揺れた。

今日は母屋の茶の間として使っていた四畳半のフローリング化工事。これは予定外の出費となった。四畳半の真ん中の半畳は昔、冬には畳を上げて掘り炬燵にする仕組みだったがそれを止めてから40年以上が経って……陥没〜補強材を入れるが再び陥没〜その際にシロアリ発生を確認となってしまった。プレハブ撤去の他にも施工したいあれこれはあったのだけれど、それらは保留にしてシロアリ駆除が最優先となった。加えて畳敷をやめフローリングにすることにした。

ともあれあと10〜20年持ってくれれば良い。運が良ければ次の誰かに「ちょっと使ってみてもいいかな」と思えるくらいの形を残しておきたい。自分がいなくなったらここも含めてどうなるのかな。仏壇や神棚、お墓の管理等は徐々に遠のいていくのは仕方がないのだろう。僕で絶させてしまうのは申し訳ない気もするけれど、まあ仕方あんめえ。向こうでご先祖に叱られる覚悟はしておくか。

いま家中を建材の匂いが充満している。

Notionと連携

このブログとNotionを連携してみた。使用したプラグインは 例によって幾つかのサイト様を参考にした。例えばこちら https://kazulog.fun/note/notion-wordpress-sync/ 。 どこの何とどちらの何を参考にして、手順はこうしてと控えておけば良いものをいつも勢いでばたばたと設定してしまい、同様の作業が必要になるとまた最初から検索し始める。今回も同じ。いつもあとで後悔するのだ。

ところで見出しとかはどうなるのかな

と唐突に見出しってみた。そうそう画像なども入れてみよう。

夜9時過ぎに自動同期するよう設定しておいたのでどうなっているか楽しみだ。 これが可能になるなら更新が滞ることもなくなるのだろうか。まあ元々更新自体に何も意義を感じていないし気が向いた時とか、今回のように新しいおもちゃを手に入れた時だけはしゃぐのは変わらないのだろうな。

空席

仕事部屋に空席を一つ作った。来て欲しい人がいて、先に席を作っちゃうと叶わないような気がして棚上げしていた。
将来的には必ず誰かによる引き継ぎが必要になる。元来形を作って要素を納めていく質だったのだから。
闇雲に作ったのではなく何とは無しに誰かが(誰かは分からないけれども)そこに収まる絵が少し見えたので形にしてみようと思った。

誰かが座るであろう席は砧に住んでいた頃の机だ。気がついた。
もし誰も座ることがなく終わるとしてもそこにその頃の自分が座っている。

極端な話を言えば、生きていくために必要な物資がある無しとかを無視して言うなら、最終的にこの世界に自分一人がいればいい。
面倒くさいから書かないけれど、良くある安っぽい思いの末に逃げ込む言葉ではなく、本質的なことを言っている。
自分以外の何ものもない世界では短い時間しか生きられないだろうけれど、多分それなりに楽しめる自信がある。
そうしたらもう一度何か絵を描こう。自分しか見ることのない絵を

道端の木

毎日通る道端のちょっとした植物のこと。

誰か酔っ払いでも踏みつけたのかな。根本から二つに裂けてしまっていた。
裂けた二つとも葉の緑とか問題なさそうだったけれど見る度に痛々しくてたまらず、修繕する機会を伺っていた。

部外者だし人通りがある時間にやると不審者に見られるかとタイミングを伺いつつ夜間に決行。園芸用の結束バンド(解除が容易い)で2箇所止めた。

裂けた状態のままだとメンテナンスが入った時に除去されてしまう恐れがあると思った。立木の状態が保持されていれば見逃してもらえるかもしれない。水揚げは問題なさそうだから、何とか元気になってくれればいいと思う。

Every Grain of Sand♫ by Bob Dylan

大切な曲を横綱に擬えれば西がJoni MitchellのBoth Sides Now、東がBob DylanのEvery Grain of Sandなのだ。方位はどっちでもいいんだけど、ミネソタ出身でニューヨークに渡ったDylanとカナダのアルバータ州からデトロイトに出てその後ロスできっかけを掴んだJoniということで何となく東西。

Every Grain of Sandはアルバム“Shot of Love”に入っている正式版で好きになったが、後に公式の(?)Bootleg(要は未発表曲)として出されたDylanの家の庭で犬が合唱しているこのバージョンは何にも代え難い。