チベットの自然や人々のことは遠い昔、本かテレビで知ったのだと思う。すぐに親近感を憶えた。その後も近しい存在として時々情報は届き、歴史についても漠然と知っている。でもチベットには行ったことがない。中国にすら行っていない。漠然としたまま書き始めてみる。
状況が悪化しているのはニュースの通り。何か書きたいと思った。でも会ったこともない人たち、行ったことのないくにについて何が書ける。多分、私なんかよりも中国の政治の中枢にいる人たちの方がチベットについて何十倍も考えているだろう。それは利権とか資源というようなことだけではなく、当然人々のことも考えているはずだとは思う。それなら、どうして?
市民という意味で私と同じ立場の人たちや若者やおばあさんまでが中国の軍人に殴られ蹴られていた。殺された人もいる。そのような映像は信用できるものだと思う。許せない。
中国の人の考え方、中国の経済力・軍事力と、チベットの人の考え方、他の国々の反応、たとえば隣のインドの人の対応、利害関係を想う。日本はどうか。
中国が急激な発展をする中で、目をつぶって来たことや気にしてこなかったこと、欲をかいてしまったことがあるのだろう。他の国も経済とか産業なんてもののために一緒に目をつぶっていたのだろう。それで国としての遺憾の声は挙げにくくなった。
まるで始まりを告げるように上海でBjörkが歌った様子をYouTubeで見た時には、すげーなと思わず拳を握った。こういう事態になってあらためてそれを見るともっと違う感情がこみ上げる。Björkはよく聞くアーティストの一人だけれども、そういうことを超えて。
零にほとんど近いほどの無力感を感じている。多くの人はそうだろう。
遥かなるチベットのことを書こう。
少し場所を移して新装オープンなった大丸東京店のことをウエブで見ていたところ、「8階には東京初となる京都の老舗コーヒー店「イノダコーヒ」が出店する」とのこと。へぇ、これが高田渡が歌ったあのイノダか。今は割合大丸には近い所に居るので時間を見つけてぼくもあの〜イノダっていうコーヒー屋へ〜行ってみようかな。イノダコーヒーではなく、イノダコーヒなんだね。
牛丼屋のメニューに「合いがけカレー」というものがある。初めて出会ったのは松屋で、名前は今も変わらない「カレギュウ」と言った。牛丼屋では松屋が始めたのではなかったのかな、どうだろう。地味にヒットしてメニューとして定着したんだと思う。その後徐々に他の牛丼屋のメニューにも入り込みはじめ、今では吉野家にまである。パイオニアとしての松屋に一日の長があるとか、やはり味の吉野家だとか好みは様々だろうけれども、みんなはこれをどうやって食べているのだろう。
ぼくは最近までは牛丼のパートは紅ショウガと七味をまぶして牛丼として、カレーパートはカレーとして、きちんと分けて「2倍おいしい」を実践して来たのだった。この前ふと思いついて牛丼部分をカレールーの中にダイブさせてみた。どちらかというと甘い牛丼の汁がしみ込んだ肉をカレーの中に泳がせるのは邪道かとも思ったのだけれども、これが割合イケた。3倍美味しかったかも。ただこれは初回ということもあったかもしれず、次に注文した時にもう一度やってみて真価を問うことにしたい。
# ブログのタイトルをこっそり変えた(ゴメンナサイ)。
# 肩凝りはどうやら神経痛らしい(自己判断だけれども)。トクホンもいいのだけれども、無臭のアンメルツヨコヨコを最近では愛用している。
表裏のブログが同時に調子悪くなる事ってあるのかな。
どちらも再構築しようとしたらindex.htmlがからっぽになっちゃった。
身内の介護(といってもたいした事は出来ない)のために20数年ぶりに実家で暮らし始めているのだけれども、ネット環境はPHS。
ちゃんと仕事に利用できるような回線が引けるまでにはもう少しかかる。
ブログは以前にも似たような症状に陥った事はあるんだ。
事務所に行けばバックアップがあるから修復も難しくないとは思う。
そんなわけで、一休み。
これって「ホームページってもののありかた」も見直してみようよっていうどこからかのメッセージなのかなあ。
もともと不規則な生活とめちゃくちゃな仕事スケジュールを、きちっとしなければならない病人のスケジュールに併せるとどうなるかっていうと、単純に言えばどこにも眠る時間がないという事みたい。
笑っちゃうくらい早い時間に終バスは終わってしまうのだけれども免許を持たない僕は公共交通機関に頼らざるを得ない。
今まで住んでいたところを一旦引き払うのもまだこれから。
引越は慣れているとは言ってもねぇ。
細かいあれこれを考えても仕方が無いなと思えてくる。
今しなければならない事は何かという事も次第に澄んで見えてくる。
やはり仕事。黙々と仕事をしよう。
もちろん父親の事はする。
問答無用に何か手伝いたいと思える相手がいるという事は幸せな事なんだろうと思う。そういう相手が身内を含めて何人かいる。
ずぅっと先、もう2,30年もたてば自分が今の父親の年齢になっているのだということは知っている。
ぼくは独りだから自分の身をどう片付けるかは意識があるうちにちゃんとしなければならないのだろうと思ったりもする。
こういう立場に立ってみると、今まで考えたこともない、そういうことを考える。
年金を貰えるあても無いしなぁ(いや、政治がどうこうという以前に払っていないし)。
その頃またこの実家に帰ってきているのだろうか。
それとも糸が切れたまま、どこか遠い町で気楽に酒でも飲みつつ…。
まあ、いいや。
なるようになる。
そんなことよりも仕事。
停滞している事を動かすこと。
インテルが入ったMacintoshの導入時期の検討。
この状態が一段落した後の最高の仕事環境の構築のこと。