今年もメジャーは変わらぬ激戦と心踊る面白さでした。それに比べて何とも味気なくなってしまった日本プロ野球。かつて大好きだった者として何か書いてみたいと思ったのです。
断片でもどこかに届くといいなあ、と。
野球は青空の下でやるもの。強い雨の日は休み。日本は雨が多いからと言うが、昔はドーム球場なんて無かった。札幌とか地域の特性的にどうしても必要な場所以外は(そういう場所にしても開閉式にするなどして自然芝は維持して欲しい)屋根無し自然芝に戻そう。ボールパークの復活だ。
高校野球の甲子園大会は今も変わらず炎天下でやっているじゃないか。僕も甲子園球場は日本一の野球場だと思う。グラウンドキーパーさんも含めて。
ドーム球場出来始めの頃の物珍しさはもう微塵も無い。屋根があって、スパイクの下はプラスチックの芝(一部の球場はアンツーカーまで土色の人工芝になっている!)とコンクリート。そんな球場での試合はどう考えたってつまらない。野球版ゲームじゃないんだからさっ。
ボールパークについてもう一言言わせてもらえれば、バックネット裏席のことをもっとちゃんと考えて欲しい。そこは誰もが認める野球観戦における一等席だ。日本のスタジアムの多くはそこを放送席やスタッフルームに使っている。馬鹿じゃないのか。甲子園と東京ドームはその辺は流石。メジャーの球場でその特等席を日本のような勿体ない使い方をしているところを見たことが無い。
昭和の高度成長期じゃないんだから、もっと文化的に成熟してもいいのではないか。フランチャイズの確立、それに伴いチーム名やユニフォームから企業名は外すことを義務づける。宣伝・広告したいのならもっと違う方法を考えたらいい。球場名のネーミングライツでもいいし。球場の帯ビジョンやフェンスの広告をもっと有効的に使ったらいい。
今時、宣伝したいが為にプロ野球チームのユニフォームの胸に企業名を縫い付けるなんて下品だしみっともないと思わないのかな。実は○○(例えば福岡)のオーナーはあの■■(ソフトバンク)なんだよっていう方が格好良くないかい?実業家間では当然それは前提のバリューとして国内外に知れ渡る訳だし。
もうね、いいからこれで行って(笑)。
フランチャイズをしっかり確立した後、それぞれの伝統と野球の本質を考えて余程のことが無い限り変更することが無いようなデザインのユニフォームを仕立て、選手は堂々と身に纏って欲しい。ビジターユニフォームはグレー基調で派手すぎず、白パンはダメ絶対。
応援団は悪いけれど一旦解散してくれないかな。同時に鳴り物は消えてもらう。一般の人だけでなく、純粋に野球を楽しみたいファンをそれらがムラ社会のように拒絶していることに気付いて欲しい。球界のトップが大号令かけなさい。
次の組織の話にも通じるけれど、良い部分は見習うということでMLBのように放送権料のことなどビジネス全般はトップでまとめるべき。もうジャイアンツ一辺倒は終わっている。以前のペナントやシリーズは確かにジャイアンツの躍進で盛り上がった時もあったが、もう「その次」を考えなければ将来は無い。
中継アナは淡々と「スポーツ中継」をしてほしい。野球はそのゲーム自体が最高に面白いのだから。無駄な情緒的エピソードはいらない。データや記録に基づいたものならウエルカムだ。下手な解説者もいらないかもしれない。
注目の若手打者と相対した投手が少年時代にも戦っていてその時の結果データはどうだったかなんていうのは美味しい。うわっ面だけ(相対していたという部分のみ)話して結果を言わないのは最悪だ。野球ファンはデータが大好物なのだ。全てのデータの整理・集積化は急務。最近はNHKの中継でさえ若干民放的な手法に犯されつつあるが、やはりまだ基本の違いを感じさせてくれる。
たとえばMLBのようなチーム付きの名物アナやゲストの和気あいあいでありつつ、きちんと野球そのものを伝える放送は見習いたい。
MLB.COMのようなサイトの構築も絶対的に必要。予算と権限をくれれば僕が作るぜ(笑)。試合中即座に全てのデータが更新されるMLB、そのボリュームは本当にすごい。全球団のグラフィカルな速報をはじめ、写真やハイライト映像はフリーで誰でも見ることができ、野球そのものを心から楽しめる。日本のてんでバラバラの「ホヲムペイジ」とは雲泥の差だ。加えてMLB.TVは1年1万円で全試合生中継(及び全アーカイブ)が見られる。アジアリーグ(次項に書く)は年間5千円で全試合見られるようにするべきだ。
NPBは発展的解消。先ずは韓国を巻き込みアジアリーグの基礎を作ろう。日本12チーム、韓国4チームによる16チームのリーグ戦は二つのリーグとそれぞれの東西で4ディビジョンに分ける。リーグチャンピオンシップを経てアジアシリーズでアジア王者を決する。
将来的には韓国からあと2チーム、台湾から2チームを加え20チームによるリーグ戦〜アジアチャンピオンの決定へと発展。
選手は参加3国については制限無く平らに移籍や交流を行う。MLBからの「助っ人」の制限も特に必要無いだろう。アジアには素晴らしい選手がたくさんいるのだから。MLBとはドラフトや移籍のルールづくりをアジア野球連盟として対等に交渉すればよい。
野球人口がどうとか他のスポーツ(特にサッカー)から比べてどうとかいう人がいるが、選手については心配していない。「野球は面白い」ゲームで「日本人は根っから野球好き」なのだから。ドラマははじめから内包されている。選手は楽しく懸命に最高のプロの技を見せてくれればそれでいい。問題は組織やマスコミの方にある。
他のスポーツと比べて貶す人って面白いね。特に一部のサッカーファンもどき(本当のサッカーファン、スポーツファンはそんなことはしない)。どんなスポーツも面白いし応援するってことでいいんじゃないの?呑気にさ。まあ、インターネットの片隅の単なる憂さ晴らしなのかもしれないけれども。何事にも先ず貶すことや排除するところから入るっていうのはここ数年の日本の中でのキャンキャン声の大きい連中に良く似ている。
アジアリーグ化してチーム数が増えれば解決することではあるけれど、とりあえずそれまでの事としても現在のリーグ戦の仕組、そもそもの組織の有り様はもう一度考えた方がいい。取って付けたようなクライマックスシリーズはどう考えても据わりが悪い。リーグ優勝決定戦をやりたいのなら、両リーグそれぞれ東西3チームずつに分けて東一位対西一位にした方が余程すっきりする。たとえある年のリーグ戦が上位3チームが西、下位3チームが全て東という結果になったとしても。
それから、引き分け制は廃止。決着がつくまでやらなきゃ駄目。
自分はMLB一辺倒のこの頃だけれど、子供の頃みたいにもう一度プロ野球にも夢中になってみたいのだ。
これを書いたのは2年近く前だったのだけれど、今読み直して補足したいことも出てきました。
ドーム球場については興行と考えれば日程調整上致し方ないのかなと。でもそれなら開閉式一択でしょう。予算は何とかしてよ。自然芝に戻すことは絶対条件。譲れない。
チーム名案は再考した。まあ、この辺は妄想というか趣味の領域ということで。
または、チーム増加案によって千葉か神奈川に新チームを作ってもいい。その場合もう一チームは九州か四国の新球団かな。
アジアリーグのことはここのところ国同士の問題があり、ちょっと考ええさせられる。MLBのアメリカとカナダのようには行かないのかな。元の文中にも書いたけれど、野球好きが呑気に観戦できればそれでいいと思うのだが。
選手の行き来はずっと変わらずあるのだし、野球界だけでも仲良くできないものか。韓国の強豪チームとのペナント終盤の大一番なんてあれば白熱を通り越して両国で盛り上がると思う。
どうしても難しければ国内だけで16でもいい。それはやればできると思うんだ。メジャーがチーム数を増やしたときにも大反対があったようだけれど結局成功しているじゃないか。
日本野球の頂点たるプロ野球が面白くないと野球界全体がつまらなく感じられてくる。日ハムの大谷はじめ、楽しみな選手はたくさん出てきているのに、もったいない。
兎にも角にも、何とかしてちょ。
子どものころ、いっぱしの推理のようなつもりで「誰それが犯人じゃない?」などと言うと、祖母が「人を疑ったり、罪をかぶせたりするときには、ちがっていたら死んでわびるくらいの覚悟がいるんだ!」と叱った。そのころに叱られておいてよかったと思う。
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) August 23, 2014
「人を疑ったり、罪をかぶせたりするときには、ちがっていたら死んでわびるくらいの覚悟がいるんだ!」
これって善人気取りで(ちょっと調べれば分かる明らかな)デマや、似非科学を鵜呑みにしてふれ回っちゃうようなタイプの人たちにもぜひ持っていて欲しい心得だと思う。
何かに刺されたのか、足の脛を掻きながら甲から足指にかけて眺めていたら、ふと鳥の手羽先を思い出した。カラリと照り焼きにして小骨を分けながら食べていく。あー、腹減った。
足の甲にも小さな骨が組み合わさっているっぽい。これ、どうやってできたのだろう。幾つもの部品を正確に繋げて、しかも子供から大人へ日々成長した場合のバランスまで全て仕様書や設計図に書かれていたことなのかな。書いた奴すげーな。
神秘ってこういうことなのだと思う。ごく身近にあるもの。
ロボットの必要性が高まるにつれ、話題としても硬軟よく聞くようになってきた。「自分で考える」という部分は大きな課題として立ちふさがっている。巨大な智の集積としてのデータベースセンターと通信することでその一歩は進もうとしているようだ。それは数億の情報から今必要な一つを選び出すようなことだろう。
「成長」という図面を最初に引ければ、それは逆になり、動物に近くなる。ゼロから自分で配置し、自分で積み上げていく。そういうロボットが生まれてきても良いのではないか。
十数年一緒にいて、ある年からは毎年花を咲かせる。小さな花なので昔は気付かなかっただけなのかもしれないが。
この草花の名前を知らなかった。元々仕事場をシェアしていたうちの一人の連れだったのだけれど、何時しか人間はフェイドアウトしてしまってこの花を含め幾つかの荷物だけ部屋に残った。
あちこちの植物を救助するのが役目(といっても小物専門)なので当然僕が引き取って世話をさせてもらっていたら例によって幾鉢にも増えて今に至る。
灯台下暗し。もっと早く聞けば良かった。花を活ける友だちがいる。何気に聞いてみたらすぐに君の名が分かった。「オリヅルラン」いい名前。さらに丈夫で放っておいても割合良く育つ植物だとも教えてもらった。世話がどうとかはあまり関係なかったのかも。
ちなみにばあちゃんの名前はツルさんだった。何かの縁?
ギズモードが新しいOS X “Yosemite” のシステムフォントがLucida GrandeからHelvetica Neueに変わることについての記事を書いている。
http://www.gizmodo.jp/2014/06/os_5.html
例によって、ジョブズがいたらこうはならなかったのではないかというような否定的な論調。
もうそういうのうんざりだ。
Helveticaには良い部分と今ひとつな部分の両方がある。他のフォントと同じように。伝統的な書体をシステムフォントとして現代のコンピュータのモニタに映した時にどうなのかという問題は確かにあるだろう。
OS Xが誕生したとき、まだモニタの多数はCRTだった。Lucida GrandeはモダンOSの象徴の一つでもあった。リアル指向のアイコンなんかにも良く似合った。
iOS7でSkeuomorphismを大幅に消し去ったようにYosemiteで変わろうとする時にフォントが変わるのは当然だ。また、高精細な液晶モニタが主流になっている状況も後押ししていると思う。
個人的にMacintoshはMac OSの頃から好き嫌いを超越したパートナーではあるけれど、そもそも基本的に肌合いが合うということはもちろんあったのだと思う。
それでも時々若干の違和感はあって、その一つがそのSkeuomorphismだった。
その辺りが素晴らしく改革されたiOS7を高く評価したいし、Yosemiteにも大きく期待している。
ギズモードの記事中気になったのはApple Sansという単語。
実はLucida GrandeはOS Xの最初の頃こそ良いイメージだったけれども、すぐにちょっと古くさい感じがしてしまい以降ずっとそう感じていた。Helvetica Neueへの変更はそういう意味でも歓迎はするものの、確かにAppleは何か隠し球を持っているのではという気はしないでもない。Yosemiteで御披露目とはならないかもしれないけれどもオリジナルフォントを準備していたとしても不思議は無い。MyriadとHelveticaのいいとこ取り的なフォントを想像したりする。
もう一つ気になるのは、日本語環境ではどうなるのかということ。AquaKanaも当然変わるのだと思うけれど、素直にヒラギノ角ゴW2あたりになるのか、それとも新しいフォントが開発されているのか。
毎日使うものなので楽しみと不安が混ざるけれど、アイヴのグランドデザインとそれを理解するチームを信頼しているのでまあ大丈夫だろう。
秋が待ち遠しい。