削ぎ落とす作業が必要になってくる時がある
作業によっては落とさなくてもいいもの、落としてはいけないものまで道連れに落ちてしまう
そういうことって案外多い
デッサンする時のパンは注意しながら使う
念じたりスイッチを切り替えたりして落とせるもの
どうしても時間は道連れにせざるを得ない
瞬時の場合もあるとはいっても
予め落としておくということや遡って落とすことを想像してみる
それにしたってそのことを考え、落とすためにスイッチに手を伸ばし切り替えるための時間は必要
ただそれがほぼ無意識のうちに完了できるようになれば道連れは最小限ですむのではないか
もしかしたら、それを修行と呼ぶ?
一週間前にここに書いた予定通り歯医者にて親知らずを抜歯してきた。
1回目のトライでは痛すぎて駄目で麻酔を継ぎ足して再度引っこ抜き。残った麻酔が気持ち悪い。
ちゃんとした健康診断的なものはもう3、40年していないけれど医者・歯医者には数年おきくらいには行っていた。でもたいていお医者さん側の設定した予定の最後まで通わずにバックレてしまう駄目な患者である。
歯が大切なことは分かっているのよ。今度こそちゃんと完治まで行こう。それにしても歯を抜いたのなんていつ以来だろう。子供の頃は麻酔なんかかけなかったっけ。ただそれ以外はあまり変わっていない気がした。歯が抜ける時のメリメリって音も久しぶりに聞いた。
帰りにアパートの大家さんに会った。あそこは昔からある評判の良い歯医者さんだから安心していいよとのこと。でも麻酔が切れたらそれなりに痛くなりそうな予感。
追記20:00)麻酔は切れて今のところ順調に痛みはフェードアウトしつつある。そもそも激しい痛みは無かった。やっぱり大家さんが言う通り上手な歯医者さんなのかも。
世間が蒸すだの暑いだの言い出す頃、多くの施設や店、交通機関は冷房を入れ始める。だいたいそのタイミングで不調になる。自宅の冷房は残暑が始まるくらいまではあまり付けない。体温をはじめとする体のシステムを変化に慣らすのが下手なのだ。変温動物でございと割り切れればいいが、一応ほ乳類の人類の端くれなので困る。
寒気がして動機がおさまらない傾向。かといって厚着をすればそりゃあこの季節なのだから暑い。厄介だ。
何か良さげなものを食べようという方向に向かい、それだけならいいが遂には酒でごまかそうとする。呑んでいる最中はいいけれど後でより強い寒気と動悸がやってくる。
早く誰がどう見てもただただ暑いだけの季節に変わらないかな。汗の量とともに体調も落ち着いてくるはず。
数年ぶりに歯医者へ。
どうしようもない痛みがある訳ではないが、外れてしまった詰め物が2カ所あり、その一方はちょっとヤバいことになっているのが分かる。それに古い治療でガタが来ている部分も多数あり覚悟を決めた。
前回堀留町にいる頃かな、通った歯医者は完治前にリタイア。今度は完走を目指す。今まで歯医者は近代的な設備のあるところから、田舎の老医師が歯を削るところまで様々通ったのだけれど、今回はこの町に昔からある落ち着いた雰囲気。
ヤバいことになっている歯は所謂親知らずポジションの歯。普通20代前後で抜くのだろうけれどそれをやり過ごし、虫歯になった時にもその時の歯科医と相談して治療し詰め物をして歯を残すことを選択した。
このまま使い続けようと思っていたのに、ある日あっさりと詰め物は落ちた。
ここしばらくは歯医者どころではなかったため放置していたら再び虫歯に。神経を抜いて治療済みの歯でも虫歯になるんだね。 ただ、何かが当たれば痛いがその歯を使わないようにしていればなんてことは無い。それでずるずると引き延ばし気付いたらヤバいことになっていた訳だ。今回の歯科医は抜歯を即決。こちらも異論は無かった。
そういう訳で次回、7日後、親知らずを抜く。この年になって、恥ずかしながら。
Twitterで@Umeda_YoHinTenさんが紹介されていたアフリカのコトバ
「ガゼルは最速のライオンよりも速く走らなければ殺される。ライオンはもっとも遅いガゼルよりも速く走らなければ餓死する。
あなたがガゼルとライオンのどちらなのかは重要ではない。太陽が昇ったときに、あなたは走り出したほうがよい」
だよな、うん。すごく納得した。
こういうことが分からなくなっていたりモヤモヤした中に埋もれてしまっていたりするのが今なのだと思う。
定時の食事という行事をしなくなって1週間が過ぎた。
体型が気味悪くなっているとか、それに伴い息が上がるということもあったが、何時ものようにただ何となくというきっかけで始めてみた。
栄養補給は大きなものは平均一日一回。特に決めてはいないが。その際に炭水化物を少し摂る。その他の時間にはトマトジュースを飲んだり、チョコレートを齧ったりしている。
酒は呑んでる。これも何時ものこと。
金がないということもある。食費を削れば(元々がたいして使っていなかったから微々たるものだが)幾らかは他に回せる銭が出る。
何かを絞ることで何かが見えてくるのではないかという想像もした。これが一番決定的な理由かもしれない。
見えるべきものが見えなくなっているし、見られるべきものが見られなくなっている。
目を凝らし耳を澄ませても駄目だった。金銭的な困窮や体調の悪化よりもそれが深刻だ。
見えなくなっていたものを取り戻したい。
気がつかないうちに見えなくなっていたものは色々あったらしい。
体を絞ることとは別に、最近では姿勢に気をつけている。子供の頃から側湾症で姿勢が悪く首を大きく右に傾ける体制がデフォルトだった。でも絵を描くのは得意だったし、視線にはそれなりの補正がかかっていたのだと思う。
姿勢を気をつけるようにし、あらためて水平というものを感じてみると世の中が別のものに見えてくる。世界の広がりや物の正しい形が見えてくる。
僕はもう一度絵を描いてみようと思っている。