ここをしばらくの間空けてしまったからメモ的に書く。
一昨年経営的な不安要素が一つ減ったのは大きかった。全てが好転したわけではないものの精神的に楽になったらしい。らしいというのはそれまでも実感はなかったから。その時期が終わってみて徐々にそうだったのかなと分かってきた。
去年の夏には長い間温めていたことを実現した。温めすぎてカサカサに乾いてしまっていたけれど。旧友がいる金沢へ行ってきた。台風が近づき、天気予報は最悪で日々暴風雨のはずがなぜか滞在中は全日晴れた。雨が降らなかったわけではなく、酒を飲んでホテルに帰ったあと降り、朝窓から「ああやっぱり降ってるな」と金沢の雨をしみじみ眺めた。それでも朝食をとって出かける頃には上がり、目的地が近づく頃には晴れる。懐かしい友達が車であちこち連れて行ってくれたり本当に楽しく不思議な旅だった。白米千枚田で食べたおにぎりの美味しさは忘れない。自分用の土産に買ってきた干物をオーブントースターで焼いたら匂いがついてしまい、いまだにパンを焼いたりすると微かに香って思い出す。
Facebookでついに数人フォロー外しをした。フォローだけ外せば友達状態は維持したまま先方に知られずブラインドにできる。
ネットリテラシーがどうとかっていうけれども、要は性格なのだろう。一次情報や仲良しの言うことを鵜呑みにして脊髄シェアしてしまう一部の方がおられる。陰謀論が大好きで、原子力と聞けば、安倍・自民と言えば、中国・韓国がと付けば全て拒絶。辟易する。
Facebookは現実の知り合いが多いから、実際にお会いすると皆さん良い人ばかりだ。嫌いな人と付き合いが続くタイプでは無いので自然とそうなる。でも同じ人がネット上ではおかしなことを言い始めることがある。(この手の話はお互い様で、こちらがやれやれと思われている場合も当然あると思う)
ネットに慣れ、かつ普通に考える力のある人なら少し際どい話題ならソースはどうかとか、反論はあるのかなど調べ納得した上でシェアしたりするはず。また、どちらかの方面に不利益が生じるような話題や誰かの将来に影響する話題ならそれなりの覚悟を持って話さなければならない。福島に人は住んではいけない産ものは食うなとか、癌は医者にかかってはいけないとか、お気楽にふれ回っちゃってあんた責任取れるのかいって思う。
また、今時馬鹿か余程の理由が無い限り右とか左とかに極端に振れる筈はないんじゃないのかな。
例えば政治家の靖国参拝について。神社の成立の過程をもってそれを否定する人がいたとする。その先には、では別の慰霊施設を作るべきだという人もいれば、そういう施設自体不要だという人もいる。もちろん靖国で全く問題無いという人も多い。
例えば時の政権について。今の安倍さんをトップとする体制で、首相個人をどうこう言ってもあまり意味はなく、その取り巻きを含む政権の意思として大小様々な案件が複雑に処理されていく。プロの精鋭集団で全く仕事ができないなんてことは常識的に考えて有り得ない。これは民主党時代も同じことで折角あれだけの政権交代という一大事をやって宿願の政権を取り、全員が必死で働いて、でも最終的にはああいう結果になったのはひとえに政(まつり=祭り)を執り行う能力が決定的に欠如していたからに他ならないと思う。奴ら神輿担ぎが悲惨なくらい下手くそだった。
自民党政権が30%の仕事を50%成したように宣伝するようなことをごく自然にできるとしたら、民主は50%やったことでも10%も広められなかったような、そんな印象がある。
今はそれこそ後の祭りで、民主党政権時代にこれだけの仕事をしたのだと議員が言ってももう誰も聞く耳を持たないし、野党としてもただ反対するだけのつまらない野党になってしまった。
靖国はOKだけれどTPPは駄目とか、安倍自民党政権は支持するが靖国参拝は止めておいたほうがいいとか、憲法改正はするべきだけれども9条は戦略的に維持したほうがいいとか、様々是々非々。これだけ情報が多く考える機会が豊富な今は個々の考え方はそのスタンスによって(昔でいう右とか左とかではなく)微妙に構築されて行って当然。
そういう科学的で平らな考え方ができる人と話をしたい。
個人的な(今現在の=明日は知らない)考え方も書いておかないとフェアじゃないか。
今興味があることは、3Dプリンタ、ドローン、水素技術など。オスプレイは乗ってみたい乗り物ベスト3に入る。
現政権はまあ平均点程度はよくやっていると思う。憲法改正は十分議論した上で進める。TPP OK。東京五輪、決まったのだから前向きに成功させよう。遺伝子組換え問題なし。ニセ(トンデモ)科学・医療は死ね。築地市場の移転は早急に進める。原発はさらに安全に留意して当面再稼動できるものはすべきだと考える。将来的には核融合や水素燃料、自然エネ他新技術への切り替えを図るのが良い。中国には大まかには期待している。上手に連携できるといい。個別の問題としてはチベットのこと何とかしろこの野郎。など諸々あり。韓国とは随分こじれちゃったので心配。家と家に例えれば数世代代らないとリセットできそうもない。レッドソックス頑張れ。ケチャップはデルモンテ。
ところでフォロー外ししてみての感想なんだけれどタイムラインが妙に味気ない感じなのです。どうやらトンデモ発言に対してバッカじゃないのと思うことがある種の刺激になっていたみたい。うーむ。
そうだ、ネット界隈ということで追記しておこう。
少しでもこれは叩いていいんだっていう対象を発見したらここぞとばかりよってたかって袋叩きにする風潮、日本はこんなに素晴らしいと必要以上にふれ回る連中。どちらも下衆の極み、ゲロ好かん。
4、5年ぶりか、父親の見守り(介護というにはおこがましい)のために実家暮らしをすることになった。
といってもほんの2、3週間。
調子を崩して入院していた病院からリハビリ&ステイのできる施設へスライドするはずだったのが先方の都合でちょい待ちになったため。
ただ、なんだかんだ言ってもラッキーな方だと思う。
都内の友達は義父さんのことで近県のあちこちに足をのばしてようやく施設を探したというし、別の友達は義母さんを見送るまでしっかりと介護をやりきった。みんなすごい。
田舎に何代も住むということは、一生の節目節目を割合スムーズに乗り越えさせてくれる仕組みに溶け込むということなのだろう。
そういう父を見ていて、もう案外近い未来に迫った自分の場合を想像すると目を背けたくなるような絵面が浮かぶ。田舎を捨て、年金等の社会保障もいい加減だし、老後のことなんて塵ほども考えたことがない。こんな風に思い浮かべてもすぐに目をそらしてしまう。なるようになると思っている(なりません)。貯蓄はマイナスの蓄え(借金も財産)しかないし、元々健康に自信がある方ではない。
と書いて、考えるのはお終い。書いたことで満足してしまっている。もっとちゃんと考えなければいけないのだろうなあ。
この後実家の方は状況を整理していかなければならない。リハビリの結果によるけれども、入院前までのように独り暮らしをするのはそろそろ難しくなっているようだ。その後そのまま滞在型の施設に移れれば良いのだが、申し込みはしたもののどうなるかわからない。
新聞や牛乳、光熱その他の精算と休止。電話回線の休止。郵便の転送手続きと近所へのお知らせ。そもそも家の中を少し片付けないと。自分と妹家族の倉庫代わりになっているスペースが結構ある。お見舞いをいただいた方への快気のお返し。
ほんのしばらくではあるけれど、暮らしと仕事ができるようにネット回線の整備(済)。多少の洋服を洗濯後持ち込み(未)。風呂など燃焼システムの点検(業者に依頼)。それから作業机はどうするかとか、ヘルパーさんとの兼ね合いはどうするかとか考えることがいっぱいだけれど、もう明後日からのことだから見切り発車で行くしかない。
前回はちょっと頑張りすぎたし甘く考えすぎていた。仕事は各方面にお詫びしてセーブさせてもらったのだけれど、そもそも一旦セーブして復帰後元に戻るような、そんな需要があるはずはないのだった。どこぞの大御所でもあるまいし。別の人が入ってしまえばそれまでのこと。手放した仕事は帰ってこない。
後悔はしていない。あの時頑張ったことで父も今まで実家暮らしを続けることができたのだと思う。そのための助走になったのではないかと思う。
今、幾つかの仕事が動き始めて大切な時でもある。今回は仕事の優先順位もイコールとしようと思う。介護サービスの助けをフルに活用させていただいて乗り切る。
都内に住んでそこそこ長くなるけれど、移動に使うのはメトロかJRがほとんどだった。
このところ何かとバスに乗る機会が増えた。そうしてみると公共交通機関の一つであることが改めて良くわかる。
変なイメージが自分の中に付いていて、なんとなくもっとルーズな乗り物だと思い込んでいたんだ。子供の頃は毎日バス通学していたのにね。
夜のバスの車窓も良い感じ。ちょっと不思議なことの一つは都内のバスって均一料金のものが多いと思うが(実家の方のバスは走行距離による料金)、それでも一駅二駅乗って降りて行く人が結構いるんだね。イナカモンの感覚ではそのくらいの距離歩いちゃうんだよな。今も若い二人連れが談笑しながら乗ってきたと思ったらもう降りて行った。肩を並べての喋り歩きもいいもんだよ。
後で酒のツマミになるように記録しておこう。
喪失、裏切り、脱力、複数の心配向きなどなど周りが大変賑やかで、仕事激減、天災、首くくりと続く(まあ、実際はくくってないけれど)。
それはそれとして、自分はどうするかと考えて1年無茶をすることに決めた。勝手に決めても仕事は向こうからは来る訳が無く、いくつも面接をし足を棒にして結局決まったのが夜通し力仕事ってやつ。これを平日帯で入れて昼間は細々と本業のレギュラー仕事をしながら立て直しを図る。途中更に週末夕方にバイトを入れた。これで完全に眠る時間は無視された形で、この1年まともに寝た日は無い。それでも通勤電車の中と家でのごろ寝で平均2時間/日ほどは稼げたかもしれないのは上出来。
そんな1年が開けようとしている。まあ、よく頑張りました。ただし経済的には全く何も残っていない。蓄えもこの先の見通しも何も無い。帯の仕事の時給はあまり良くなかった(状況からして日払いまたは週払いしてもらえるところ以外は無理だった)ので食いつなぐのでやっとだった。
もちろんリスタートに向けて作戦はいくつか打っていたが、毎度のことではあるけれどもなかなか思うようにはならない。それでも牛丼屋に座ってふと明日のことを考えて涙がざあざあ止まらなくなったり、体のあちこちから血が流れ出して途方に暮れたりするまでには至っていない。まだなんとかなるのだろう。
そんな一年。
言葉にしてしまえば大したことはない。最初、どこかに弱音を吐こうと思った。誰かが読んでくれるかもしれない場所に。年齢、なのかな、誰も相談したり弱音を聞いてもらったりする相手がいない。若い頃は逆にそんな誰かはたくさんいたけれども、そもそもあまり弱気になったことが無かった。子供の頃は弱音云々以前に良く泣く子だった。兎に角わーんと泣いてお仕舞い。弱音の虫も生まれる暇がなかっただろうな。
まあ弱音なんてものは吐いたって空しいだけなんだとは思う。余計に追いつめられたりする。それもこれも酒のツマミ。多分後数年すれば。そのために吐いておく。
と、5月の半ばにメモ書きしていた。
今はそのリスタートとやら直後。いつものことながらプチ奇跡と突き落とされるような蒼白感が立て続けに起こって、逆にそれで「戻ってきたな」と感じる。
これからどうなるのかな。1ヶ月したらまた無茶仕事を探している可能性もある。んなもん判りゃしない。
ここの更新はこれでお仕舞い。ブログ自体は止めない。でももうちょっと違うものにしようと思う。兎に角何も決めないで書いてきた。ジャンルも方向も更新リズムも何も無し。「日記」にはしたくないと思ったけれど、どうせ定期的に書ける訳が無かったのだから余計な心配だった。
三番以内のような特別な場所じゃない。その辺のという気持ちでの五番目の緑地。
いつか消失する空地にて。
この後は雑草も生え放題か。これにて御免。