駄目だった。いつの間にかハードルはとても高くなっていた。やっぱり友だちの間にこういう話は持ち込むべきではないな。放心しつつ長い時間電車に乗って帰る。帰れば仕事があり、また徹夜。これだけやっても改善されないんだからこれはもう無理なんじゃないか、見込みはないんじゃないかと思ってみても、作っている最中は忘れ、作るものは(自分からみれば)ある一定の線はクリアできていると思う。
またふと思う。これで余計なことに時間を取られたり、考えたりする必要がなくなったわけだからよかったとも言えるんじゃないか。終わりなら終わり。いやおうなくそれは来るわけだし、続くのなら続く。
感じるのは、下にも書いたけれど、「ズレ」。ひとに刺々しく当たっていることに気づいている。人の集まるところには顔を出さないでおこうと思う。象のように誰にも気づかれず、そっと消えていけたらいいと思う。まあ、ずうっと先に。
ここが底だと思っている。物理的にもこれより下はない。路上での暮らしはぼくには健康上、できないだろうし、すべて足を洗ってリセットしたなら少なくとも今よりはいい「暮らし」ができるだろう。
暮らし、とか家計とかって考えたことなかったな。独立してから。だからそれに左右されたこともなかった。テレビで若い人が討論する番組をやっていた。所得とか将来の暮らしを考え、それが少しでもよくなることを目標にしている人が結構いるらしい。それってふつうのこと?少なくとも「収入が多い仕事に就いて云々」という基準で物を考えたことって41年間一回もない。多分これからも考えないと思う。
それでも破綻っていうタイミングはあるんだろうし、その時何かを基準にものごとを設定せざるをえなくなるんだろうな。
でも、まあ続くのなら続く。
その後、「ヒトリ」ではなく「フタリ」になり、そうすると、伝える手段を持たずにただ憶えてくれていた人もいるのかもしれないという希望も若干涌いて来たりして。そういうことを憶えていてくれることや、その人数は全く重要ではなく、人の繋がりの確認というか、ああ独りではないんだなあという思いの、たまたまこの事を介しての確認。まあ、幸せ者だっちゅうこと。
全宇宙でひとりだけ、ぼくは今朝ある地点を歩いていた。いや、単に銀行へ行く馴染みの近所の道。「世界でひとり」になることなんて簡単。単にぼくがいまいる座標にはぼく以外のだれもいない。座標付近数メートル、と言ってもいい。そういう生活がもう何年も続いていて、今日またひとつ、幸せに、歳をとった。「世界でひとり」こんな珍しくもない日を憶えていてくれた友だちに感謝しつつ。
気持ちが萎えてしまって、夕べは珍しく早く寝た。そーゆーときでも眠れなくなるということだけはないので助かる。少し疲れているのかも。掘っても掘っても目指すものは出てこず、背中の土塊を入れた篭だけがどんどん重くなっているのに気付く。ブツが出てくるのかどうかは「そう信じている」というだけの曖昧なものだ。
爪を切ろう。
更新は気が向いたときしかせず、掲示板もあるにはあるけれどじっと押し黙ったまま(CGIが壊れているわけじゃないのよ:-)。でも、まだ生きてるこのサイト。このページだけは細々こつこつと何かしら書き込んでます。だって、簡単だし。
来るかどうか分からないけれど、いろんな懸念が消え失せたら、活気のあるサイトに戻すのでご期待(できるかな)。
洗濯の真っ最中。夏頃までは節約のために全部浸け置き洗いにしていたんだけれど、なかなか上手にできないので(匂いがついちゃったりする)この数回はコインランドリーを使っている。コインランドリー歴は一人暮らしと同時に始まり、長いんだ。でも今は洗濯機を持っていないわけではなく某所に預かってもらっている状態。なんだかもったいないなあ。コインランドリーは昔で言うと川、なのかな。おばあさんは川に洗濯に。近所の人と会って一言二言声をかわす。なかなかこの暮らしも悪くないと思える。