ice cream castles in the sky

For The People Of Tibet

ブログ検索をしてみると非常に多くの記事が見つかるチベット関連だけれども、報道は何らかの力が働いているのか、ちょっと静まってきてしまっている。
この数日例の聖火リレーのニュースによってまた注目されたのはいいが、そんなこととは関係なく現地では刻々とひどい自体が進行しているのだろうと想像する。
話はずれるけれどもテロ餃子についてもそう。すぐに流してしまうこの国のメディアって何かおかしい。
中国にとっても、欧米諸国が色々言ってきたり、五輪ボイコットというような動きがあったりすることはある程度織り込み済みだったのではないか。前にも書いたけれども、インドと日本がどう出るかが結構鍵なのかも。
政治家には色々な手法があるのだろうから、今のトップの表面的な部分のみを見てあーだこーだは言えないと思う。ただ事態は、20年後に日本および周辺諸国が恙無く繁栄していれば良いという、それだけじゃあ済まなくなくなっていることをちゃんと認識しているのかなあとも思う。20年後なんて分からないしね。
今はっきり言わなければいけないこと、表明すべき態度もあるんじゃないの。自立した国だというなら。

 

書寫山圓教寺執事長チベット問題へ声明

良かったら見て聞いて読んでみてください。なぜこれほど気に掛かるのかと思っていたのですが、(実際行って見たわけではないけれども)記憶の底にあるような子どもたちの風貌や景色というだけではなく、仏教の故郷であり日本人の源流とも言えるくにのことだからなのだと改めて気づかされました。

野茂は帰ってきた

やっぱり野茂は帰ってきた。

桑田や高津は残念だったし、薮は開幕に滑り込んだとはいえ微妙な状況。そこで満足してしまってはいけないことは本人が一番分かっていることだと思うけれども、「気持ち」ってのは難しいものだから。それと運もある。
野茂は淡々とやることをやるだろう。それがどんなに難しいことか。自分を振り返ってもつくづくそう思う。
ファンとしてはただただ期待するだけ。

高田渡的復活

本気で関心がある事柄というのはだいたい向こうから自然に情報がやって来る。当ページの構成を組み直してあちこちいじり、その流れで本当に久しぶりに見た高田渡のページにそれはでかでかと書かれていた。
「まさかの新作!?帰ってきた高田渡」

なぬ。
ひぇー、これは見に行かねば。 
(4/1追記)
今日見たらサイトがリニューアルされ充実するとともに新しいイベントの告知もあった。なんだか本当に生き返って来ちゃったみたい。

花冷え

桜が満開だそうだ。
以前花見を楽しんでいた頃は確かに防寒対策をして行く必要はあったと思うのだけれども、こんなに寒かったっけ?
体の芯からがくがく震えてくるようで暖房をフルに付けないと過ごせない。こんな時期に満開で花見の話題が聞こえてくるなんてちょっと違和感。そういえば花見をしなくなってから何年経ったのだろう。
 

遥かなるチベットのことを書こう

チベットの自然や人々のことは遠い昔、本かテレビで知ったのだと思う。すぐに親近感を憶えた。その後も近しい存在として時々情報は届き、歴史についても漠然と知っている。でもチベットには行ったことがない。中国にすら行っていない。漠然としたまま書き始めてみる。
状況が悪化しているのはニュースの通り。何か書きたいと思った。でも会ったこともない人たち、行ったことのないくにについて何が書ける。多分、私なんかよりも中国の政治の中枢にいる人たちの方がチベットについて何十倍も考えているだろう。それは利権とか資源というようなことだけではなく、当然人々のことも考えているはずだとは思う。それなら、どうして?
市民という意味で私と同じ立場の人たちや若者やおばあさんまでが中国の軍人に殴られ蹴られていた。殺された人もいる。そのような映像は信用できるものだと思う。許せない。
中国の人の考え方、中国の経済力・軍事力と、チベットの人の考え方、他の国々の反応、たとえば隣のインドの人の対応、利害関係を想う。日本はどうか。
中国が急激な発展をする中で、目をつぶって来たことや気にしてこなかったこと、欲をかいてしまったことがあるのだろう。他の国も経済とか産業なんてもののために一緒に目をつぶっていたのだろう。それで国としての遺憾の声は挙げにくくなった。
まるで始まりを告げるように上海でBjörkが歌った様子をYouTubeで見た時には、すげーなと思わず拳を握った。こういう事態になってあらためてそれを見るともっと違う感情がこみ上げる。Björkはよく聞くアーティストの一人だけれども、そういうことを超えて。
零にほとんど近いほどの無力感を感じている。多くの人はそうだろう。
遥かなるチベットのことを書こう。

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