披露宴の引き物のケーキを美味しくいただきながら、ふと思った。
男にも適齢期ってあるのかな。ぼくは41歳になったばかり。ん?41歳?このことばのひびきは?
……41歳の春だから〜……
あ。
バカボンのパパと同い年になっちゃった。
なるほどこの年齢であれだけ攻撃的だったのはすごい。
などと思っていたら昼前から督促の電話。ふぅ。
世間様が連休中の中日は仕事のち一時結婚式、夕方から再び仕事確率100%。
インターネットで知り合った友達の結婚披露宴に出てきた。早めに出て各駅停車でゆっくりと会場へ。いい天気。ユニークな友達らしい披露宴は、管・弦楽器の入った贅沢なものだったけれど気楽に楽しめた。
末永くお幸せに。帰りもふんわり各駅停車。
駄目だった。いつの間にかハードルはとても高くなっていた。やっぱり友だちの間にこういう話は持ち込むべきではないな。放心しつつ長い時間電車に乗って帰る。帰れば仕事があり、また徹夜。これだけやっても改善されないんだからこれはもう無理なんじゃないか、見込みはないんじゃないかと思ってみても、作っている最中は忘れ、作るものは(自分からみれば)ある一定の線はクリアできていると思う。
またふと思う。これで余計なことに時間を取られたり、考えたりする必要がなくなったわけだからよかったとも言えるんじゃないか。終わりなら終わり。いやおうなくそれは来るわけだし、続くのなら続く。
感じるのは、下にも書いたけれど、「ズレ」。ひとに刺々しく当たっていることに気づいている。人の集まるところには顔を出さないでおこうと思う。象のように誰にも気づかれず、そっと消えていけたらいいと思う。まあ、ずうっと先に。
ここが底だと思っている。物理的にもこれより下はない。路上での暮らしはぼくには健康上、できないだろうし、すべて足を洗ってリセットしたなら少なくとも今よりはいい「暮らし」ができるだろう。
暮らし、とか家計とかって考えたことなかったな。独立してから。だからそれに左右されたこともなかった。テレビで若い人が討論する番組をやっていた。所得とか将来の暮らしを考え、それが少しでもよくなることを目標にしている人が結構いるらしい。それってふつうのこと?少なくとも「収入が多い仕事に就いて云々」という基準で物を考えたことって41年間一回もない。多分これからも考えないと思う。
それでも破綻っていうタイミングはあるんだろうし、その時何かを基準にものごとを設定せざるをえなくなるんだろうな。
でも、まあ続くのなら続く。
軸がズレている。いろいろなことへの対応や反応が少しずつ自分としては嫌な方向へぶれている。軸自体を叩いて修正してやるほかはなく、自覚はしていても物理的に軸のズレた独楽は静かには回らないのだ。
個人的な記念日を過ぎてふと気づいたのはぼくは今年「本厄」だったらしいということ。そういえば、ここに引っ越してきた正月頃、近くの神社へいったらそう書いてあったな。
昔の人は流石です。確かに「本厄」の一年だったなあ。といってもあと一月半あるんだけれど、なんだか個人的なその日が過ぎてみると、気のせいだけでなく空気が変わったように感じるんだ。
後厄?まあ本厄よりはいいんじゃない。少なくとも。