帰国
どんな体制の国にも住んでいる人はいて、地域によっては地域まるごと悲惨な生活を強いられていたりしても、ある地域では案外「ひとときの平穏」もあるのかもしれない。
他所の国から見れば悪の権化のような独裁者が睨みをきかせていても、エリアによっては、市民のレベルではそれなりの暮らしもないではないのだろう。そこで生まれた子供はそこの奇妙なルールを守りながら(それが当然と刷り込まれながらも)大切な友達を作ったり、楽しい想い出を作ったりもするのだと思う。話のスジからすれば、また長期的に子供の幸福を考えたら強制的にでも「オヤジのふるさと」へ連れて来た方が、いろいろな可能性は広がり、よりニンゲンテキな時間を得ることができるようになるに違いない。みんなそう思い込んでいる。いや実際そうなのだろう。ぼくが当事者の大人の側の立場だったとしたら、そりゃあやっぱり「首に縄をかけてでも」引張って連れてくる。100%そうする。では、子供の側の立場だったら?帰ってきた子供達の表情を見ていたら(もちろん昔の蛮行を含めて)大人達がした事の重大さを改めて考えさせられた。
凶悪国家の気狂い指導者というレッテルを貼るのは簡単だ。事実そうなのかもしれない。敢えて違う見方をしてみる。「いくつかの失政や不運によって大きく傾いてしまった国を(恐怖政治という)力と(狡猾な)知恵でどうにか支えてきた頭領」という言い方。そう言う側面はあるのだと思うよ。少なくとも馬鹿ではない。そこへのこのこ乗り込んで行った。そりゃあこれから徐々に明らかになってくる「成果」もあるのだろう。無きゃ困る。ただその成果を見るのに何年もかかるのだとすれば、ずいぶんな貧乏くじを引いたものだ。彼はずっと先の政権の「手柄」のための先鞭をつけた。最低でもそう言って思い出される事を祈っているよ。誰の手柄になろうと成果さえ出れば関係家族の方々にとっても、国益という面でも悪くはないのだろうから。成果さえほんとうに出るのなら。