ice cream castles in the sky

長野・有森さんの映像

人が多いってことは下へ下へと裾野が広がるってことなのか。五輪方面で言えば、人口の多さに比例して極端にメダリスト独占という事にもならないわけだし、世界規模で学者や芸術家のほとんどを占めるというわけでもない。人間が出来る事の上限っていうのはある程度決まっているのだろう。クレイジーな天才は思いもしないところから現れる。
逆に闇の深さや広がりを知ると身震いする。人の多さは闇の深さ。360度暗黒、何キロ進めど針先ほどの光も無し。例えて言えばそんな感じか。それにしても、こんな明るいところからの想像でしかないわけだから、事実はさらに想像を絶するものなのかもしれない。人権を無視する手段、ニンゲンの壊し方、その具体例を見聞きして「そこまでやるのか」と感じたとしても、それは人の想像の範囲内ではある。下限もあるには、ある。そりゃあ生物はこうしたらこうなるよなという話。たんぽぽを折れば白い汁がでるわけだし。何が怖いかと言えばそれが集団催眠的に果てしない広さ、果てしない数字で起こってしまっているという事なのだと思う。
飲み込まれたらひとたまりもないし、そんな気配を感じたらできればすぐに自分をどこか別のところへ運ぼうとするだろう。

数日前を思い返す。長野のアレは「聖火リレー」なんていうお祭りではなかった。きな臭くイガラっぽい「事件」だったのだと思う。大きな爪がひっかいた痕があの赤い波だ。それとともに印象に残ったと、このページの下に書いた有森裕子さんの表情だけれども、見事に日本のメディアからは写真も映像も探せない。つべにもニコ動にも無し。唯一Googleを英語設定にして見つけたのが下のロイターの写真(本来貼るのはいかんのだろうけれども)だった。事件当日の夜、TBSのブロードキャスターに少し映ったのを見たけれども、保存できなかったのが残念。と、昨日asahi.comの映像ニュースの中に見つけた。思えば当日画面角の小映像ながら最後の方まで放送していたのはテレ朝だったし、有森さんのこともそこで見たのだった。

〈この”3″と”1″ではスタートとゴール地点で意図的にチベット弾圧反対派を分け離した様子が一瞬ながらちゃんと映っている〉
大手マスコミ・メディアには首を傾げたくなるような報道や記事もあるけれども、少なくともどの会社にも様々な主義主張を持った記者がいるのだろうとは思う。どこかの影響を受けて変に凝り固まったりせず、まんべんなく見て、賢く引用したり捨てたりして行けばいい。ただ、全体的にどの会社にも言えるのはお上(スポンサーとか、権力者とか)の方を向き過ぎ。(全くそっちを向かないというのはあり得ないが)読者側に重きを置かないで何のマスコミだろう。記者クラブがどうとか良く話に出るけれども、ちょっとタブーに突っ込んだ記事を書いたら取材できなくなったりするのっておかしい。脅迫じゃん、それ。
長野でも、それを発端としていろいろ聞こえて来た情報でも、警察組織にはそうとうストレスが溜まっているのではないか。日本で今一番引火し易い火薬庫はもしかしたら警察ではないのかというのは妄想し過ぎ?

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