ice cream castles in the sky

アレルギー

持病を持っていて、持っているのだけれどもその病気で医者に掛かったことはもう15年以上無かった。どんな病気も病気になれば大変なこと。喘息はなかなか体力を使う病気なのだけれども、一風変わっているとも言える。
アレルギーというものの不思議さを漠然と子供の頃から考えていた。
ある刺激から自分自身を守ろうと体が準備し対応し、戦い始める。過敏とか暴走などと言う言葉で片付けたくはない。体は頑張って対処した末のことだ。ただ生命維持や、ある種のバランスからはすでに遠く離れてしまっている。おいおい、どこへ行くんだ。

そうなると、体と精神のせめぎ合いになってきてしまう。体が防御に集中してくれているのは有り難いのだけれども、感覚的には単純に苦しい。
体質や健康状態はその人の心の形成に大きな影響を及ぼすと思っている。少なくとも自分の現在の有り様はほとんどそういうところから説明がつく。
一番最初の記憶は病院のベッド。大きな病院で、治療計画等はシステマチックなものだったのだろうと思う。家族の愛情があるからこそそこにいたのだけれども、子供としては家族がどうこうというよりも社会的な何かがあり、本があり遊具があって同じ子供の患者がいて、ひとり空想する時間が限りなくあった。
アレルギーに対応するには走り去ってしまう自分の体と、それによって引きはがされる苦しみとの狭間にいて、ただただ冷静に状況を観察する自分自身をこしらえることが重要だった。
左の耳が聞こえなければ、なるべく人を右側に置くようにするのが癖になった。
一人遊びが楽しくなってくれば、持病をネタに嘘をつくことも覚えるようになった。後は推して知るべし。
いろんな要因が面白おかしく偶然のように重なれば、そこそこユニークな人物が出来上がる。突出するには、あと一つ二つ突拍子も無いことがあっても良かったのかなとも思うけれども、自分的には十分面白い自分。飽きないし、誰よりも自己愛。気持ち悪いな。いや、本音は突拍子なんてものは無くて良かったと思っている。ルートとしての方向性を示してくれるのはやはり元々の資質なのだろうし、その辺を吹っ飛ばして狂ってしまうような大事件は無いに越した事は無い。淡々とじわじわと自らを観察し続けられる今の状態が丁度いい。
そんな何十年ぶりかの(別の不調で単発的にかかったことはあったけれども)病院で、点滴の針がするりと血管に刺さった部分をぼーっと見ながらこんなうたを思い出していた。

「遠来」 友部正人 詩曲
君がニューヨークにいるのと同じように 僕は東京にいる
君がニューヨークでアパートを借りているのと同じように
僕は東京で借家住まいだ
君はニューヨークで新しい友達を見つけただろうか
僕は東京で見つけたよ
そして僕も君も東京とニューヨークで 歌のことを考えている
君がインドにいるのと同じように 僕は東京にいる
君がインドで丘の上の大木を見上げているように
僕は東京で公園の木を見上げている
君はインドで赤いけさを着てお祈りしているという
僕は東京でコーヒーを飲みながらお祈りしているよ
そして僕も君も東京とインドで 湯気をたてて晩ご飯の支度をしている
君がフランスにいるのと同じように 僕は東京にいる
君はフランス人の書類第一主義のやり方に腹をたて
僕は日本人の曖昧なやり方に腹をたてる
君からたまには美味しいものを食べに行くよと手紙が届いた
僕は東京にいて美味しいもんて何だろうと思ってる
そして僕も君も風向きが変わり ヨットは同じ方に走り始めている
君が台湾にいるのと同じように 僕は東京にいる
君は台湾に行ってアジアが見えたかい
僕は東京にいてこの街もわからない
こんなにもたくさんの人が生きているのにという
そんな悔しさに襲われることはないかい
そして僕も君も東京と台湾で 
捨てるものの無くなったどぶ川を眺めている
君が地球にいるのと同じように 僕は地球の上にいる
夜になるとたくさんの町の灯が
つながってひとつになるのを見たことがある
ぼくらはいつもどこか遠くから
ぼくらのいる星を眺めている
そして僕も君もこの地球の上で
分かり合えないまま距離ばかりを大切にしている

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