ice cream castles in the sky

Hashimoto

橋下市長が危機に瀕している。というか彼は自らそれを演出していると言えなくもない。無意識にであっても、いずれにしても。
一つは橋下市長が失地回復を狙った博打であったということ。そしてそれはまだ終わっていない。まだ数回サイコロを振るはずだ。
喧嘩には強いと自負している彼が仕掛けたこのトラップに多くの人が引っかかった。政治家の一つの成果が選挙であるのなら、この博打の結果は7月の選挙後に(または次の衆院戦後に)現れるだろう。
ただ、彼が喧嘩に強いと言っている理由は別に選挙なんかには負けてもいいということだ。彼は転じても例えばブンカジンとしてその後も人が羨むような蓄財と生活レベルを得るだろう。持論を主張し続ける場や再登場の機会も。
新しいスタイルを演出することは悪くないじゃんってこと。
公党の党首が本音で話す。外交を含めた交渉事は後で取り繕うというのは、ともあれ新しい。そういう風に政治家が見苦しく弁を重ねて行く様子も今まであまり見たことはなかった。今までの役人や政治家には良くも悪くもマニュアルがあって、失敗した時のやり方は決まっていた。
この破れかぶれにすら見えるスタイルに内容はともかく共感する人はいると思う。少なくとも身近に感じる人は多いのではないか。
では、実際主張していることはどうかというと。
言い出し始めた時と取り繕った現在とで主張が変わってきているからアレですが。ともあれ現時点での主張は無難なものになっている。

  • 日本軍や日本政府自体が暴行・脅迫をして女性を拉致をしたという証拠は今のところない
  • 慰安婦的なものは過去に於いて各国にあった
  • ならばなぜ日本のいわゆる従軍慰安婦問題だけが世界的に問題になるのか。このような非人権的な事態が問題になることは当然だとしても日本だけというのはフェアではない

いえね、日本だけがどうとか世界がどうだったとかは別にしても駄目なものは駄目なのであって、では世界中が総懺悔をすればいいかという問題ではないでしょう。
ありふれた言い方をすれば不幸な過去を二度と繰り返さないようにもう一度世界レベルで人権というものを考え直しましょうなどということになるのかな。
一方では確かにそんな悠長なことを言っていても何も変わらないから橋下的なカンフル剤が必要なのだということもあるかもしれない。
また他方ではハシモトは本気でそんな部分についてどうこう思っている訳ではなく、それをきっかけにして勢力拡大を狙っているだけだと言うひともいるだろう。敢えてマイナス材料を打ち上げて耳目を集め、その中から共感者をゲットして行くというやり方はありふれたものではあるが、まだまだ有効だ。
世の男性の本音という面ではどうか。といっても「世の男性」なるものの総意を簡単に読み解くことは難しいので、僕はどうかというところから始めてみる。
軍隊というところに在籍したことはないが、規律を重んじられ種々の欲望を制限される中では、その欲望の調整は確かに必要になるのではないかと思う。その辺のコントロールが自分では出来ない人がいることは想像できる。僕は多分一定の条件下(期限が決まっていたりすること)では割合きちんとルールを守るのだろう。ただ極限的な日々の中で何かをきっかけに踏み外してしまわないとも限らないしその可能性はゼロではないと思う。
要は普段は非道な振る舞いには箍をはめているということだ。ヤリたいのにヤラないということだ。突き詰めればヤリたいのだ。その状況で最初から箍を外してヤリまくる人と根元は何も変わらない。
結局のところは戦場での云々以前の男女の性のブブンの話にあつまって行く。それは欲望の種類の中でもその行為の捉え方が人によってまちまちなのだから人権に則せばというのは理想論でしかない。「誰の」人権に則するのかっていうことになっちゃう。
暴力・強制は駄目っていうのは共通項としてあっても、自発的にその業種を選んだならどうかとか(それにしてもその理由は様々)、その業種の存在自体を否定する人たちのこととか、男女での考え方の違いとか…、どこにスタンスを取るのかさえ難しい。
さて、この方向で考えていくと際限なく細分化されて行くだろう。その場合先ずは最低限の共通項で線を引いてみることになり、それは結局(現在の)橋下市長の主張と重なってくる。
もし今回のことに限らずその主張の根幹を推し量る際に疑問が生じるとか、単に見え隠れする人間性が嫌だとかそういう次元で彼を否定するのは自由だろう。
舵取りをする立場の人に何をして欲しいのか。
極力安全運転で少しでも良い場所へ連れて行って欲しいのか、新しいチャレンジをしつつ今までと違う場所へ連れて行って欲しいのか。
安全運転が全てを停滞させ淀み、少しずつ(時には大きく)状況が悪くなって行ったと感じていてみんな嫌気がさしている。そこで政権交代なんてものもあったのだけれど新しい人たちは失敗してしまった。
革命的な展開が起こり、役人や政治家のシステムが一新し道州制が敷かれ国軍が整備されたとしても我々の暮らしに極端な変化は訪れるのだろうか。仕事や収入が増え欲しいものが手に入りやすくなり、家庭を持ちやすい環境が整い結婚する人たちや子どもが増え、それによって社会が更に活性化しというような好循環が蘇るとしても、個人の気持ちや考え方なんてたいして変わらないだろう。
教育や老後のシステムまで変えることができれば、長い目で見れば変わって行くかもしれない。良くなるのか悪くなるのかは別にしても。
または戦時下の状況になったら、考え方も価値観もある程度変えざるを得ない。でもそんなことは誰も望んでいない(と思いたい)。
橋下氏の話に戻すと、彼の主張の最後の項目がどうも引っかかる。
日本だけが悪者になることはないと言っている。確かに個人レベルでも、日本人というだけで偏見の目で見られるようになったというような話も聞く。それがあったかどうか以前に何十年も前の過ちであることや、個人の資質とは全く関係のないものであるにも関わらず。
人の噂に戸は立てられない。例えば橋下氏の主張が通り、世界中の国が過ちを認め当事者に謝罪したとしても一度付いてしまったイメージはすぐに消えることはない。時間をかけて個人レベルで認めて直してもらうようにしていくしかない。そもそも世界のどの国に限らず、軍隊が悪事を行っていたことは知っているし、兵隊さんが全員英雄的な人たちだなんて誰も思っていなかった。
そう考えると、今回の騒動は事を荒立ててしまったことで今のところ逆効果になってしまっている。
やはり話題づくりや勢力拡大を狙っただけのことだったのかと思われてしまえばそれがイコール橋本代表の人としてのレベルということになってしまうし、それが世界に向け報道されてしまった後は、それがイコール日本人の民意だったり民度ということに置き換わってしまっているのではないか。
過去に何があったのかを検証することも大事だが、現代の我々がどう考えどう対応しているのかはもっと大切だ。橋本代表にはそういう意味できちんとこの後の手当をして欲しいと思う一方、すんなりと消えてもらってあの騒動はごく一部の人物の個人的な考え方だったのだという納め方もあるのかもしれないとも思う。

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