軽い身体の変調があり、毒には毒と焼酎を四五杯流し込んだ後、「食い勝とう」と、また食えるうちに旨いものを食っておこうとなか卯へ親子丼を食べに(なか卯の親子丼はなかなか旨いのだが本当に久しぶり)外へ出た。昭和通りの信号を待つ間、行き交う車の助手席に若い女性が多いことに気づく。ああ、イブか。なんだかそういう処から随分遠くへ来ちゃったのかなあ。とまれ、頑張れ世間。
さて、帰ったらまた仕事。後どのくらいもつんだろうな。20年なのか、2年なのか。神のみぞ知る?
iTMSでアメイジング グレースを買ってみた。この歌手がミュージカルに出演するようになったりスタンダードな曲を歌うようになった頃、テレビで見た事がある。声とか歌唱に自信がある事は伝わって来たけれども印象に残ったのは曲自体よりも、ああこの方は努力しているんだなあという事柄だった。もともとアイドルだったという美しさも相まって。
ようやくこんなきっかけで一曲ちゃんと聴いてみた。とても伸びやかで抑揚が効いていて心に響く歌だった。でもこの人はもういない。こんなすれ違いや一時期の思い込みによる機会の損失ってたくさんある。取り返しがつかない悔しさをしっかりと記憶していく。
ニュースを見落としていたのかもしれないのだけれども、なんとなく絵を見たくなってたまたま検索していたらこんな記事が目に入った。四国新聞によると画家のJean Michel Folonが亡くなられたとのこと。
20代の頃に見た展覧会の中でも印象に残っているもののひとつが鎌倉の神奈川県立近代美術館(だったかな?後で調べてみよう)でのフォロン展。色彩と、画面のこちらと向こうを静かに結ぶような空気感を忘れる事はない。ご冥福をお祈りします。
ジャンミッシェル・フォロン氏(ベルギー生まれの画家・彫刻家)AP通信などによると、20日、白血病のためモナコの病院で死去、71歳。
建築を学んでいたが画家を志してフランスに渡った。当初、フランスでは評価されなかったが、作品を米国の雑誌に送ったところ、ニューヨーカー誌などで紹介され注目を集めた。水彩画やイラストのほか、彫刻やグラフィックアート、地下鉄駅の巨大壁画など幅広い分野にまたがって独自の世界を展開。日本を含む各国で作品展が開かれた。(パリ共同)
夕べ腹が減り何か食事と、ついでに酒も少々と思い仕事場近くのコンビニへ向かう。交差点の手前少し前を歩いていたご家族と思われる3人連れのお一人おばあさんがおもむろに立ち止まり、斜め上を見上げて手を併せた。つられて見上げると中秋の名月。永遠のようにウサギが餅をつき続けている。ちょっと素敵な場面だった。
ふと気になったことがある。都内に住み始めて大分たつけれどもときどき気になっていたこと。ふと人が路上で立ち止まり手を併せる風景というのに割合よく出くわす。例えば神社なら神社の手前の路上から、あるいは参道の遠く手前から鳥居を眺め、しばし手を併せまた通り過ぎる。見ている方も少しだけ心が洗われるような気がして清々しい風景ではある。もちろん折々にはきちんと拝殿までお参りしておられるのだろうけれども、それには及ばない日々の簡単な報告のようなものをされているのかなと思う。
田舎だと神社とかお寺さんは子供にとっては遊び場だし、大人にとっても普通の生活エリアの一部だったりするんだ。うちは割合有名でもある神社を中心に広がった町だったから、参道の途中で旅館を営んでいたり、土産物屋をやっている家の子供と同級生なんていうことも多々あった。
都会の人から見る神社仏閣っていうのは、そういうものに対する敬虔な気持ちというのは同じでも、さらにもう一段敷居の高いというかきちんとしなければならない対象なのかなと思った。それから江戸っ子的なせっかちさってのもあるのかしらん。お月さんにしても、子供の頃は団子とススキを供えた縁側から見上げ、おばあちゃんと手を併せたりもしたけれども、それはそういうものだった。ふいにそういう気持ちになって路上で立ち止まってどうこうということはなかったし、そういう方を見たこともなかったので、所変われば的な思いを持ったのだろう。
あ、それから肝心な点としては、こんなに大勢の人が昼夜を問わず出歩いていたりはしないな、田舎では。