ice cream castles in the sky

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吉田拓郎と流星バンド

気持ちのよい秋の夜に贅沢な編成のバンドで長年割合好きだった歌手の歌を聴く。それが良くないわけがない。事実悪くないコンサートだったし、懐かしさもありしみじみと楽しめた。
吉田拓郎の東京国際フォーラムでのコンサートに行ってきた。80年代には割合会場に足を運んだものだ。今回は5,6年ぶりくらいになるのかな。ひょんなことからチケットの購入を依頼され、これも何かの縁と久しぶりに行ってみることにした。
達者なミュージシャンたちによる大編成のバンド。それを瀬尾一三という日本を代表するような編曲家が指揮をする。照明装置の見事さと相まって(華美な方向ではなく充実したという意味で)豪華でした。流石という印象のクリアかつシャープな音。拓郎本人がそう言ったという通り、こういうビッグバンドで歌う舞台を望んでいたのでしょう。歌い方・声質もそれに合わせたのかとてもクリアに聞こえた。いや、そういう歌唱に変化していたからこそそういう編成を選択したのだろうか。

それから先のことは…

それから先のことはとりあえず何か「ご祝儀」に一曲と思っていろいろ検索したり試聴したり(本当にいつも行っているCD屋さんにいるのと同じような感覚になれるのも素晴らしいね)してみたのだけれども、結局はじめに買った曲は単曲ではなく、アルバムでした。中学生の頃買って、LPのアルバムとしては持っているもの。実家のレコード棚に今は眠っているアルバムの一つ。一時期CD化されていたらしいのだけれども、今は出回っていない。そんなアルバムを思いがけず見つけてしまった。加藤和彦の「それから先のことは…」。
中学生にしてはちょっとませたアルバムだったのかもしれない。ラジオで収録曲の「シンガプーラ」を聴いて、その曲の向こうに見える風景にある大気や水分が一気に体に満ちるのを感じた。するとすぐにアルバムも欲しくなっちゃったんだと思う。北山修さんやフォークル繋がりということもあったのかもしれない。または耳のどこかに残っていた「タイムマシンにおねがい」とか…、そういういろいろな欠片が偶然組み合わさったということもあった。
オーディオなんてものに少し首を突っ込み始めた頃でもあり、親の臑をかじったりバイトしたりして買ったステレオで聴いたそのアルバムは少なからずショックだった。ジャケットからしてその加藤和彦さんのいでたちに目を見張った。今見てもカッコいいよね。聞こえてきた音楽もそう。聴いたことのない詩に、一度で気に入ってしまう曲がどれも付いていた。東インド会社とか、タヒチとかそのコトバと響き。そのずっと後にゴーギャンが好きになったことと無関係ではなかったとさえ思う。そこで種は撒かれていたのかもしれないなんて。「フランスベッドにあの子とGEキッチンあれば 後はどうにかなって行くでしょう(キッチン&ベッド)」なんてのは、まんま今の自分のベースじゃん。個人的に知っている人は笑うだろうな。そうやって「女の子」とのこととか「おしゃれ」っていうものとかを少し先の憧れとして溜め込んでいたのだろう。
二十年くらい前に家を出た後は割合身軽な引っ越しを繰り返し、時々は次にこのアルバムを聴けるのは何時だろうと思い出していた。LPからデータに起こすサービス等もあると知り、頼んでみようかとも思ったりした。でも忙しさに流されてしまい今まで…。こんな形で最高の再会ができるなんて思ってもいなかった。
Love iTunes. Love Apple!

forever young

’89 TAKURO YOSHIDA in BIG EGG現在予約受付中の75年のつま恋のライブDVDを買おうかなとアマゾンに行ったのだけれども、それではなくてつい、89年のライブを買ってしまった。東京ドームで演ったやつで、確かぼくは見に行ったはずだ。
昔この人は「フォーク界のプリンス」って呼ばれていたんだよ。昔の録音を聞くと判るけれども、確かにそういう自信がパワーになって歌唱に昇華している気がする。

NSP

高校生時代、少しギターが「鳴らせた」のとフォークとかロックが好きだったというだけでその手の部活に入っていた。所謂幽霊部員ってやつ。その部のエース2人組が得意だったのがNSPのコピーで、ほんと上手だったな。女の子たちはキャーキャー言っていたけれど、それだけのことはあった。もっとずっと前から「夕暮れ時は寂しそう」は知っていたけれど、彼らのおかげで「さようなら」っていう名曲も知ったんだ。そうやって辿るととあの頃を鮮明に思い出す。天野滋氏の早すぎる死を悼み、冥福をお祈りします。

タカダワタル的

タカダワタル的 memorial edition先週の日曜日に手に入れる事が出来たのだけれども、一週間経って未だ視聴叶わず。忙しゅうござんす。
そのDVDに挟まっていた追悼のしおりの裏に「高田渡語録」ってのがあって、『僕の仕事は時間を売っている訳だからね、その時間くらいは自分で自由にしようかと思っている。だからぼんやりしている時間の方が大事だと思う。』って書いているんだ。
そうありたいというか、そうじゃなければいけないと強く自省する。アイデアとかそういうものは際限のないものだけれども、もともと湧量の多い方じゃない。汲み尽くして源泉をさらにドリルで抉るような仕事の仕方をしてはいけない。それで壊れた事もあるわけだし。あの頃はまだ若かったから2,3年で「再構築」することができたけれども、こんどやったらそうはいかないだろう。…酒でも呑もう。

吉祥寺へ

3月下旬並みとのこと、寒いくらいの金曜日の夕暮れに吉祥寺へ。映画「タカダワタル的」が最終日だった。
前日の段階では、この忙しさでは絶対無理。結局フォークルのコンサートみたいに見に行けなかったなあ。と頭の中では片付けていたのだけれども、徹夜仕事の朝方、わけもなくやっぱり行きたい。何とか行けないか、という気持ちになった。