仏像を彫っていた人が「魂を込める」なんて言い方をしたそうな。それは何とも仰々しい印象があるけれども、要はココロを宿すような作業だったのだろう。
もともとココロはここにいた。右手のココロ、おちんちんのココロ、頭のココロ。怒りとか悲しみとか喜びとかにもそれぞれココロがいた。
遠く離れてしまってからどのくらい経ったのだろう。ただいま。おかえり。帰ってきたのですか?よくわからない。何かが変わるのかな。
今を動かしていくしか無いわけで、ココロが心に帰ってきたのなら、何かを動かそうとするだろう。
不在の間、荒れ果ててしまった我が家を眺めてみる。何から片付けていこうかね。そんな事すら思わなくても良くなったのかな。
後で酒のツマミになるように記録しておこう。
喪失、裏切り、脱力、複数の心配向きなどなど周りが大変賑やかで、仕事激減、天災、首くくりと続く(まあ、実際はくくってないけれど)。
それはそれとして、自分はどうするかと考えて1年無茶をすることに決めた。勝手に決めても仕事は向こうからは来る訳が無く、いくつも面接をし足を棒にして結局決まったのが夜通し力仕事ってやつ。これを平日帯で入れて昼間は細々と本業のレギュラー仕事をしながら立て直しを図る。途中更に週末夕方にバイトを入れた。これで完全に眠る時間は無視された形で、この1年まともに寝た日は無い。それでも通勤電車の中と家でのごろ寝で平均2時間/日ほどは稼げたかもしれないのは上出来。
そんな1年が開けようとしている。まあ、よく頑張りました。ただし経済的には全く何も残っていない。蓄えもこの先の見通しも何も無い。帯の仕事の時給はあまり良くなかった(状況からして日払いまたは週払いしてもらえるところ以外は無理だった)ので食いつなぐのでやっとだった。
もちろんリスタートに向けて作戦はいくつか打っていたが、毎度のことではあるけれどもなかなか思うようにはならない。それでも牛丼屋に座ってふと明日のことを考えて涙がざあざあ止まらなくなったり、体のあちこちから血が流れ出して途方に暮れたりするまでには至っていない。まだなんとかなるのだろう。
そんな一年。
言葉にしてしまえば大したことはない。最初、どこかに弱音を吐こうと思った。誰かが読んでくれるかもしれない場所に。年齢、なのかな、誰も相談したり弱音を聞いてもらったりする相手がいない。若い頃は逆にそんな誰かはたくさんいたけれども、そもそもあまり弱気になったことが無かった。子供の頃は弱音云々以前に良く泣く子だった。兎に角わーんと泣いてお仕舞い。弱音の虫も生まれる暇がなかっただろうな。
まあ弱音なんてものは吐いたって空しいだけなんだとは思う。余計に追いつめられたりする。それもこれも酒のツマミ。多分後数年すれば。そのために吐いておく。
と、5月の半ばにメモ書きしていた。
今はそのリスタートとやら直後。いつものことながらプチ奇跡と突き落とされるような蒼白感が立て続けに起こって、逆にそれで「戻ってきたな」と感じる。
これからどうなるのかな。1ヶ月したらまた無茶仕事を探している可能性もある。んなもん判りゃしない。
ここの更新はこれでお仕舞い。ブログ自体は止めない。でももうちょっと違うものにしようと思う。兎に角何も決めないで書いてきた。ジャンルも方向も更新リズムも何も無し。「日記」にはしたくないと思ったけれど、どうせ定期的に書ける訳が無かったのだから余計な心配だった。
三番以内のような特別な場所じゃない。その辺のという気持ちでの五番目の緑地。
いつか消失する空地にて。
この後は雑草も生え放題か。これにて御免。
11月が誕生月なのでつい一足先に一年を振り返ってしまう、と前にも書いた(かも)。
大変な一年だった。
もう、この1行に尽きる。一生に一度クラスのことがこの年に立て続けに起こった。昨年末大切な友達を亡くした。春先の千年に一度という地震では震源地からは遠いものの、半端ない揺れでこりゃいかんという気持ちになった。部屋はめちゃくちゃ、時計も落ちてその時刻を指して止まった。もちろんそんな僕の状況など些細なことと言えるくらいな甚大な被害が震源地近くの広い地域に降り掛かってしまったのだが。さらに水害、異常気象と続き、ニンゲンも泡を食っているから思ってもいない方向に動きかねない。そんな気がしている。その後、身近な友達が相次いで生命に関わる病気と闘うことになったことを知った。夏には父が入院。秋に大きな手術となったが、無事成功。今は退院して割合落ち着いた生活をしているのは有り難い。
自分のことでは、不況・不調の波で仕事が立ち行かなくなり、1年間と決めて重めの夜なべアルバイトを入れた。力仕事は学生時代以来か。途中でリタイアしてそら見たことかと言われるのは悔しいので、父の手術日以外は皆勤状態を続けている。意地あり。最初の2、3ヶ月で体重が15kg減って若い頃のレベルに戻った。その後もじわじわ減り続け何十年ぶりかの50kg台に突入。反動か、最近バカ食いしたくなることがあるのだが、それでも低値安定は変わらない。秋からはバイトをもう一件増やした。こちらは長く副業としてできそうな自分に向いている仕事。
最近のことでは、急に引越ということになりそうな気配あり。元は仕事仲間の背信行動によるものなのだけれども、向こうも大変厳しい状態なのは分かるからどこかで諦めざるを得ないと思っている。引越先探しが不調に終われば、一時実家に戻ることになるだろうけれども、それでは仕事を含め今の生活状態を維持できない。さあ困ったというのが今の今。
本業の方はぽつぽつと復活の兆しを見せている。あれとこれ、あとこのピースが収まれば予定通り数ヶ月後には元の暮らしに戻れるだろう。そのためにもこの引越をすっきり穏便に済ませたい。もうひと頑張り。
その他の諸々。Red Soxの大失速、展覧会やライブへ出かける機会が極端に少なかったこと、飲み会等人付き合いもあまりできなかったな。まあ、来年。
突然ですが、たまにはまたチャットでもいかが?当方のiChat, AIM, Gtalkのアカウントは snowydaycatって奴です。ちなみにICQは 106480926 (Adium使用時)。
何故こんなことを書き始めたか、というと。
およそ10年前、インターネットには繋がってみたものの、そのスジの人でない限りみんな難民状態。かろうじて趣味やら何やらで繋がったのがチャットやメーリングリストだったよね。それからちょくちょくオフ会なんてやってさ。
一回りして今、みんなどこへ行ったんだろう。矢鱈ドメインを変えたりサイトを引越した自分も悪いんだけれども。今でもチャットで話す友達はほんの数人になってしまった。
先日新しい相手とチャットすることになり、その人がMSNの人だと言うことでiChatに手を加えて対応した。でもそういえば確かAdiumってソフトを使えばもっと楽だったんだよな、と。
というわけでAdium。使ってみたらカスタマイズし放題のやらかーいブブンが気に入っちゃって…、それで「お誘い」をしてみようかなと。折角だから、うん。
カスタマイズは基本ICQ風。ほら、そこ、懐かしいでしょ「アッオー」。もうすでにAdiumの面影無い。Dockアイコンまで変えられる。
最近気になるモノコトについては、ページ右袖のタグ等を見てください。モノによっては単に聞き役になりますが(笑)。
そういうわけで、どなたか久しぶりにチャットで話しません?
選挙をはじめとした国や自分が所属する自治体の運営に無関心な人ってどういう人なのだろうって、以前からの疑問。
長いこと国という大きな家の中で守られて意気も毒気も抜け落ちてしまった人たちがかなりの数居るということなのか。乳離れできない大きなベイビーたち。
もう少しだけ意志を持ったベイビーたちは駄々をこねる。愚かな民衆たち。もちろん僕もここに含まれる。政治家さんたちも大変だなあと思う。理想に燃えてぐいぐいとやりたいこともあるのだろうに馬鹿な民衆の声も聞く姿勢を持たなければいけない。
数って言うのは不思議なもので我々愚民が示した意思(民意)は時に微妙なバランスを持って表現される。今回の選挙結果もなかなかに面白い状況を生んだのではないかと思う。
選挙について考えても、無関心層についてはそもそも詮無い。
そうではなく棄権という意志を示しているのだとか、選ぶべき候補者や党が無いという「主張をする」人たちって、じゃあどんなタイミングで関心を持つの?
愚民は弱くて、我慢が効かない。特に現代は神輿に担いだ人を盛り立てようなどと言う奇特な人はほとんどいないようだ。小さな事に目を瞑っても、その仕事をシビアにチェックしながら少なくともこれを成し遂げてくれるまでは担いでおこうとか、そんな知恵や余裕は無いらしい。
さて、いいガッコを出た政治家さんたちが優れているかと言えばそうとも見えないのが実情。縄張り争いとかさ、旧態依然の政治システムはもうお腹いっぱいだよ。彼らだってあまり頭が良いとは思えない。
政党政治はもう止めたらいいんじゃないか。同じ方向の考えを持ったグループがいくつかあるというのなら判らないではない。それだって考えが全て一致する事などありえないわけだし。その辺が若い人たちと今の政治の中の人たちとの決定的なズレなのだと思う。違う世界の人たちなのだと思えてしまう。無関心に陥るのも判る。でも諦めてしまったらお仕舞い。
様々出てくる課題や法案について、必要に応じて適した人材が議論してより良い方向で決めて行ければ、それは我々から見ても判り易い政治になるのではないかって思う。
偶然なのか、こういう事が「民意」というちょっとした奇跡なのかは判らないけれども、今回生まれた微妙な状況がどう転がって行くのか、良くも悪くも面白そうではある。
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さて、人の興味なんて千差万別。例えば自分を例に挙げれば美味しいものは好きだけれども何処のレストランの何々シェフがというようなことは苦手。映画は好きでも映画俳優の名前が憶えられない。逆にとても好きなことについて人の理解を得られない事も結構ある。
誰かが、自分の住む街の事や政治的な事に興味が湧かないとしても何の不思議もないはず。ある意味それは水や電気のように身近なものかもしれないけれど、一生水や電気の事を考えずに過ごす人がいたっていい。投票率が100に近づいたりしたらそれはそれで気持ち悪い。
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結局は何がしかの気持ち悪さについて誰かに訴えたいだけなんだな。あちこちで余裕の無い人がネタを見つけては根こそぎほじくり出して袋だたきにしている。それはある個人に向けられたり、体制や業種に向けられたり、近くの国に向けられたり。
覚悟を持って慎重に、本当に建て直さなければならないことって何なのだろう。
先日の山崎飛行士の宇宙からの帰還もそうだったけれど、Ustream等が確実に実質的にメディアの有り様を変えている。
はやぶさの偉業は既存の報道でももっと取り上げられてよかった。
お疲れ、はやぶさ。GJ, JAXA.
「はやぶさ」はどんな旅をしてきたの?
奇跡生んだ粘りと技術…「はやぶさ」帰還
おかえりなさい、はやぶさくん!
△ここすごい!総まとめになってる。