ice cream castles in the sky

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麻生太郎のCMと選挙

麻生太郎を前面に出した自民党の総選挙用?CMをたまたま見た。十数秒という短時間で何を言うのかと思っていたら、先ずは日本の百何十カ所かを回って実感したことがあるということ。もう一つは、私「は」やりぬくという宣言だった。
確かにご自分の足で歩き、目で見ていただくことは大事だろう。ただこの局面で、いざ出陣のかけ声としては物足りなく、何となく拍子抜けしちゃったな。今更何をって感じ。
後半については論外じゃないか。国民に選ばれて代表として立ち、それで食っているプロの政治家ができる限りの力を使い果たし責務を全うするなんてことは全く言うまでもない当たり前のことなのではないのですか。前の2人が「投げ出しちゃった」ことを受けてのメッセージなのだろうけれども、なんだか脱力感(個人的には前の2人、小泉さんも含めると3人はそれほど悪い印象は無かったこともあるし)。
それは、愛しの小泉さんの引退と比べるとはっきりと対照的で面白い。小泉さんが政治家としてどうだったかなんてことは分からないけれども、力の限りのスイングをしていた印象は確かにある。もうそんなスイングをする自信が無いから引退するというのは下々にはやはり分かりやすい。
CMとしての構成はそつなくまとめていたと思う。そりゃあお金をかければね。でもこの何とも言えない寒々しい感じは何なのだろう。風向きとか熱気の有る無しがそのまま出てしまう、映像ってのはやっぱり怖い。
内閣発足5日目で大臣辞任なんてニュースもあったわけだけれども、形だけの総裁選等ここしばらくのなんやかやを見ているとどうにもこうにも末期症状なのでしょう。そういう「終わりの感じ」や寒々しさというのは庶民にこそ一番ダイレクトに敏感に伝わってしまうということは世界の歴史の中で何度も繰り返されて来たことで、今度も本当にそういうことになるのかどうか、まるで歴史的実験を目の当たりにしているようでそこはとても興味深い。
一方、小沢一郎の印象がある日を境にペロンと変わったのも面白い。以前は「総理としての小沢さん」ってのを想像することに違和感があったのだけれども、それはやはりあの見た目も含めた強烈な印象からだった。それが党代表3選を果たした日の「所信表明」演説から変わって見えたんだ。一皮むけたっていう表現があるけれどもそんな感じ。だから支持するとか、好き嫌いとかの話ではなくて、一人の人間がちょっと突き抜けたところに身を置いている刹那や(ある意味)その危うさをライブで見ているのが面白い。
いや、どっちの党が次に政権を取ろうとも、なるようになるのだとは思う。いずれにしても政治のスペシャリストたちが仕事をする訳だから急激にとてつもない変化がやってくることはない。ただ、急激な変化は無くても後々、あの時ああしておけばというような後悔はしたくない。
今回、曲がり角なのかもしれない。少しでも良い方向へ転がってほしいとは思うよ。だから何となく1票の重みを今まで以上に感じる。未来の自分のためにも次の代のためにも間違った選択はしたくねぇな、と正直なところ。

解散総選挙は間近?

ここのところ選挙では民主中心に入れてきている訳だけれども(時々ブレるけど)、11月とか噂されている総選挙では政権奪取の最大のチャンスなんだとか。逆にここをハズすと痛いだろうな。
予定されていた民主党代表選にぶつけるようにしてきた自民党総裁選は、今や候補者乱立のお祭り騒ぎ。それに対して小沢さんの無投票選出は印象としてどうなのだろう。そもそも民主を支持している人ももし本当に総理を担ぐということになった時に小沢さんで良いと思っているのかな。私はちょっと違和感がある。小沢代表というのは選挙管理体制下でのベストな人選だと思うけれども総理っていうイメージが湧かない。前原さんや枝野さんならなんとなく分からないではないのだが。
小沢さんを選出してそのまま総選挙で勝っちゃった場合、民意ということになる訳だからともあれ小沢さんを立てないわけにはいかなくなるっしょ。
ここはたとえば、『総選挙間近の状況を鑑み民主党代表選は特例によって先送りする。総選挙後のしかるべき時期を見て行う』などと発表したらどうだろう。
自民の(言葉は悪いが)バカ騒ぎに逆手を取ってそれをぶつけ返せば、それなりのインパクトがあると思うし、国民に目を向けた誠実なやり方とも言えるのではないか。

ソフト日本が金メダル

仕事から帰ってニュースを見たらソフト日本が金だって。すごいね。前回の五輪やら何やらアメリカに勝てる事はないんじゃないかってくらいの力の差を感じたものだけれども、信じて頑張れば何とかなるものなんだなあ。この後再放送をやるみたいなので楽しみ。実はチーム最年少正捕手の峰さんのファンなのだ。
【追記】
試合を見た。上野さんは偉い。目標に向けて照準を定めた本当のアスリートだ。6回裏の相手の4番を敬遠した場面、内野がマウンドに集まり監督も来て、昨日から400球を投げ抜いているエースにこう言ったのではないか「上野の好きなようにしていい」って。どこぞの似非エースだったら勝負に行っていただろう。上野さんは敬遠を選びこの回を無得点で終えた事でその後の味方の追加点を呼んだ。
きっちりジャストミートと堅い守り。日本の「野球」を見た。
一方でこんなニュースも

今宵灯りを

友人のブログで紹介していました。
今夜(8/8)オリンピック開会をきっかけに蝋燭などの灯りを点しましょうという企画。オリンピックに反対するとかそういうことではなくて、単に良いタイミングだからというだけのことなのだと思う。
これは良いなと思っていたのだけれども、そっかオリンピックって今夜だったんだ。忘れるところだった。
例の争乱から5ヶ月近く経ち、上の方や裏の方では何かしら少しずつは進行しているのかもしれないけれども(何も動いていないまたは後退している可能性だってある)少なくとも現実の民間レベルでは何も変わっていない(変わっていないという事は痛みが続いている事)のだろう。争乱でこの事を知った人はこの5ヶ月さえ長いと感じるのかもしれないけれども、何十年もこんな事が続いてしまっている。
世の中には繁栄しているくにもあれば、消えてしまいそうな文化や既に消滅してしまった文明があちこちにあって、いま栄えている地域に住んでいる人たちは多かれ少なかれ消えてしまったものに関わりがあり、その上に立って生きている。時代に飲み込まれたり、自ら終わりを選んだり消えてしまった理由は様々かもしれないけれども、何故世界の多くの人たちがチベットに関心を寄せて何か出来ないかと考えるのかといえばチベット文化やチベットの人たちは消えてはいけない、消えるべきではないと考えているからなのだと思う。

これでいいのだ

ニャロメやおそ松くんがいる世界は、私が昭和を取り戻す時に一番便利な景色だ。アトムは時代を超えて飛び回っているし、藤子不二雄が描いたものからは子供心に一番影響を受けたかもしれないけれどもそれは「作品」であり、在りそうで無いお伽噺としての素晴らしさだった。
ちょっと路地を入ればそこにニャロメがいてバカボンの家がある。同じ土の上で、まるで地続きの身近さ、そこにそういう世界があってくれる事の貴重さは変えがたかった。もちろん全てぶっ飛ばし超越してしまうようなギャクシーンもあるのだけれども、底に流れる親しみ易さは図抜けていたと思う。
タモリの弔辞がとても良い。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

暑いから

聖火リレーの迎え方コンテストから防塵マスクコンテストに引き続き、開会式に出席しない言い訳コンテストが始まった模様です。飽きさせない趣向が続々。