ブラックボックスに手を突っ込んでごそごそと
別に骨や肉や血をどうこうというわけでなく
いやまあそういうこともあるかもしれないが
そこに立ち風景を見定め呪いをかけること
または立ち竦み呪いをかけないこと
今の部屋は小田急のガード下にある。
といってもガードを屋根代わりに浮浪暮らしをしている訳ではなく、アパートの窓から斜め上を見上げると小田急の線路があるという位置取り。
一昨年あたりはいつ(本物の)ガード下暮らしになってもおかしくないなと思っていた訳で、ある意味予想は的中したということか。
幾多の引越の中で、線路脇は無意識のうちに避けていたような気がする。何十年も前、まだ実家にいる頃テレビの青春ドラマで見たり、フォークソングの歌詞に出てきたりする線路脇の部屋は自分には合いそうもなかった。「独り暮らし」への憧れはあったけれど。
この部屋へ引越す時は線路がどーとか、日当りがどーとか言っている場合ではなかった。這々の体で探して見つかったこの部屋は奇跡的な条件と窓の雰囲気が魅力的だった。
ガード下の件だけれど、これが意外に静か。多分裸の線路だったらたまったもんじゃなかっただろうけれども防音コンクリートでしっかり包まれた頭上の線路は窓を閉めていたら電車が通ってもほとんど気にならない。窓を開けてもまあ我慢できるレベル。
ちなみに騒音で一番参ったのは日本橋堀留町の部屋だったかな。一方通行(だから車は飛ばしたい放題)の太い道路が窓の向こうにあって夜中まで轟々と響きほとんど窓を開けられなかった。
一つ問題があるのは、頑丈なコンクリートはコの字型の天井が無い筒のようなものだから音も遮断するけれど電波も見事に遮ってしまうこと。PHSが繋がりにくい。都内十カ所前後暮らした街の中で2度目。1度目はたまたま近くにアンテナが無かっただけらしくレンタルのホームアンテナを使ったら何とかなった。今回はホームアンテナの力を借りても駄目。そもそも電波が届いて無いのだから増幅しようがない。コの字型のコンクリート筒は電車が通ると鉄の塊で満たされる。その状態で僅かにあった電波は完全に消えて通話中の電話もプツリと切れる。
仕事場と兼ねているから、割合都心部を点々として来た。今回のように私鉄沿線に少し離れたのはほとんど初めてだがこの街はとても気に入っている。部屋も当初は急場凌ぎと考えていたけれど、住むほどに悪くないと思えてきた。どこに住むかよりも、どう住むかだと考えられるくらいには歳も取ったのかもしれない。
それでも死ななきゃ治らない病なのか、次の引越を考えてしまう。ここより良いところはなかなか見つかりそうにないことは知っているから今年やってくる契約更新はするつもり。でもその次はわからない。
立て続けに幾つもの出来事が起こったな
いつの間にか収拾がつかないくらいに散らかり汚れた庭の散乱物をかき分け探せば、光る花が咲く一帯が見つかるはず
きっとまだ間に合う。そう感じる
見つけやすくするために工夫をする
花畑に行けば探すまでもなく花はそこにあり、しっかり育てるだけだ
こんな分かりやすいことはない。嫌になったら行かなければ良い
森の中で花を育てるには見つけやすくしておく
探す行程を省略できるように準備しておく必要がある
そのプロセスを楽しむ時もあっていいが普段の日課を組み立てることにも意味がある
定期的に来ている仕事場にはつい先週まではFonが飛んでいた。そこに張り紙があってソフトバンクが新しいルータを設置に来ると書いてあったので嫌な予感がしていたら予想通り。Fonが使えないソフトバンク用の電波になってしまった。
どうしてこういうことをするのだろう。Fonのユーザがどれだけいるかはともかく、敵に回すよりもやはりあの禿げは太っ腹だと言われた方がいいと思うんだけれどな。もちろんやすやすと拠点を手放すFonの弱腰というかユーザ無視のいい加減さにも腹が立つ。
加えてKDDI。この建物には細細と3Gが届く程度の情けなさ。あの電波拡充詐欺広告には呆れた。iPhoneでどれだけ売り上げを伸ばしたのか。そのツールに対してのサービスがおざなり過ぎる。ソフトバンクのやり方も上記の通り気に食わないし、このタイミングでドコモiPhoneが来たら迷わず乗り換えてしまうかもしれん。
脚が悪い父親の変わりに田舎のお寺のお施餓鬼に出て来ました。
子供の頃から「おせがき」という言葉と行事は知っていましたが、改めてこんな字を書くのかと、今頃知った訳です。
その名の通り餓鬼に施すということ。それは無縁さんへというだけではなく、代々続く自身の家系へまた自分自身の中にいる「餓鬼」への祈りなのだと講話に来られた偉いお坊さんが言われていました。
講話の後はお施餓鬼の行事。思っていたよりも宗教色が強い感じを受けました。といっても古代から続く仏教へ思いを馳せることができるような荘厳なもので、(例えるのも何ですが)間違ってカルトな会合に行ってしまった時のような嫌な感じはしませんでした。
宗教がどうというよりも(って言い方もないか)様々な年齢層のお坊さんたちの抑揚のある読経と雅楽が圧巻でした。すごく良かった。
坊さんの話を1時間も聞いていたら徹夜明けでそのまま駆けつけた状況だったので寝てしまうに違いないと思っていたのだけれど、そんなことはなく十分楽しめました。全体で2時間あまりだったのだが、割合あっという間で家のお墓の周りの草むしりをして帰りのバスに乗る頃には良い展覧会やコンサートを見た後と同じようなパワーをもらったような気分になっていました。
ただ、前半のお坊さんのお話自体は有難いものでしたが、僕にはあまり適合しないものだったかもしれません。ちゃんと家庭・家族をもち、一般的な暮らしをされている方達向けという感じ。もちろんそれはそうでしょう。いい年をして好きな仕事にしがみついて独り者。暮らしはカツカツで自分そのものが餓鬼のような、そんな特殊な人向けにああいう場でお話をされる訳は無いでしょうから。歴史の中の謂れやもの事の意味については勉強になりました。
wikiとかで見ると施餓鬼については、これって餓鬼たちの脅迫みたいなもんじゃんなどと思ったりもしたのだけれど、まあその辺の辻褄は当然奇麗に揃うようになっていてストーリーとしては納得できました。ただ、こういった行事ってこの後世代が変わっていく中でこの通り続いていくのだろうかと若干心配にもなりました。僕以外は集まった皆さんはさらに年配の方達ばかりだった事もあると思います。