今年も有り難く、幸せなことにシクラメンを一鉢頂いた。
今年は真っ赤で実に綺麗なのだけれども、どことなく慎ましくて高貴な感じ。
時間ができたらまた写真でもアップしたいな。
時間と言えば仕事の企画が大詰めで大忙し。
ブログやら何やらの更新、日々の事が疎かになっているけれども生きてます。
花のいのちというと儚いものの例えだけれども、3月にここに載せたうちのシクラメンさん、12月に八分咲きの状態で頂いて以来まだ咲いてくれている。
さすがにここへ来て気温が上がったこともあり日中は元気をなくすが、夜中は徹夜作業を励ましてくれるかのように足を踏ん張る。
次の冬の開花のことを考えたら、しおれ気味の花は摘んでしまった方がいいのかもしれない。でもそれはしたくないので水を上げる度にもう十分だよって話してみたがどこ吹く風。
今はどこまで行けるのか付き合ってみようという気持ちになって来ている。
そういうわけで今はすっかり家族のようだけれども、以前はシクラメンという花を手元に置きたいと思ったことは無かった。布施明が歌って大ヒットしたあの歌が、多分原因。子供心に「大人の世界の何か微妙な部分」を歌っているのは判ったし、加えて小椋桂のあのメロディーが決定づけた。自分とは関係のない世界の淀んだ光の中にある花という印象。
数年が経ちフォークシンガー的な側面からの興味でたまに小椋桂の曲を聞くようになり、そのオリジナル版によってやや印象が変わった。本来の雰囲気を知り、「驚いたように」や「疲れ知らずの」の部分の歌い回しが違うんだぜなんて友達に知ったかぶり。
そもそもシクラメンがどんな花かなんて知らなかった。そんな状態で変なイメージを貰っちゃったものだから実物を知った後もそれが邪魔をした。
こうやってそばに置いてみて、ようやく花本来のイメージに置き換えることができたような気がする。自由だけれどもけなげで、何より美しい。葉との対比やそのフォルム。冬の花の女王は悠々と初夏の光を浴びている。