ice cream castles in the sky

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環境が変わってからペースを取り戻すのに手間取っていた。でも今度の拠点は初めての場所ではないの。10年くらい前から事務所として使っていたし、最初の数年住んでいたところに舞い戻った。
この場所と切れずに妙な縁が続いているのは水が合うということなのだと思う。ここの実際の水は不味い。まあ幾つかの条件的に難しいのだと思うけれども、十数カ所引越して来た中でワースト3に確実に入る。
少し前に浄水ポットのBRITA絡みの仕事をした。その時はここを拠点に戻すとは思ってなかったのだけれど、水に関しては気になる方なのでこういう手もあるんだなとは思っていた。
水を何とかしようと思った時に、BRITAを思い出し調べてみるとランニングコストもお得な感じ、ネット上で悪くないと言っていただいたことも背中を押してもらうことになり結局購入して正解だった。
今ではあの不味かった蛇口からの水を1日1杯は(濾過して)そのまま飲み、何杯も美味しいコーヒーを飲み、土鍋「ほんわかふぇ」をつかった炊飯に使えば何とも幸せな食事も味わえることになった。
人の暮らしに水は必須で、だから美味しければ嬉しい。この先どれだけの時間生きられるのか、何度食事が出来るのかは判らないし。
子供の頃は終わりが来ることなんて考えなかった。現在に至っても年齢について考えたことはほとんどない。ただ、終わりが来ることには体が気がつき始めた。ごく自然なこととして終わりは来るということや、そこに辻褄を合わせることを無意識の向こうで計算し始めているらしい。
人体の大部分は水もしくはそれに関連する成分で出来ている。人が高見から飛ぶとき、着地すればぴしゃんと水風船か水瓜がはじけるような感じになるそうな。
テレビでオリンピックを見ているとアスリートたちが鍛え上げたほんとうに美しい肉体を見せてくれる。骨格やその他の成分を想像する。体に出入りする水や栄養のサークル(連鎖)を思い描く。それは彼らの個体で完結はしない。周りと繋がり世界の有機物や無機物に繋がっている。
自分の中で水とか電気は騒ぎ続けている。多分それは終わる寸前まで続く。続くことと終わること、そういう揺れはごく若い頃から暖かく大切に思っていた。お仕舞いの周辺の庭で遊んでいた記憶が遠くに確実にある。
何だかつまらないな。早飲みしすぎた酒のせいかも。(ことえりは聖火もと変換。オリンピックタイムらしいじゃん)

曇り空

向かいのホテルの屋上手すりにカラスがとまり、割合正確にインターバルを取りつつ二声鳴くという風景をしばらく見ていた。
曇り空の下で長い時間奴はそうしていたのだけれど、インターバルの間周囲の危険や興味を確認しつつの二声、体から絞り出すようにして。
向こうからしたら窓の向こうのこちらも何度も見ていたと思う。頭のいい鳥だから、ここにいる人間については手の出しようが無い安全な対象と思っていた。
何か目的があって鳴いていたのかどうかは知らない。しばらく見ていたら焦れたかのようにインターバルが短くなっていって、最後には飛び去って行った。河岸を変えてその目的を達成しようとしたのだろう。
夕方コンビニへと出かけたら、今度は猫がだみ声で規則正しく鳴いていた。

水の星

以前にも同じ題名で書いている。年に数回そんな日が来る。きのうほそんな類いの一日。

水の星

何となくだけどイオンという単語の響きがぴったりくるかな。ひんやりして本当に心地よい大気の日でした。
やさしい冷たさ。人を殺したり消耗させたりするのではなく、人の根っこまで優しく届いて一新してくれる冷たさ。
夏、熱くても湿度が低ければ心地よく過ごせる日がある。その逆に空気は冷たくても適度に水気が満ちていて海や川がある水の星に住む感覚を思い出させてくれる。年に数回しか来ないこの日、地下室に隠って仕事をするのはもったいなかったな。
わかりにくいかな。ほら、ほんの子供の頃、春なのにちょっと肌寒い日に遠足に行ったこと、ない?近場のはずなのにとても遠くを歩いているような感じがした。そんな日。