ice cream castles in the sky

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神の子どもたちはみな踊る

神の子どもたちはみな踊る日曜日に久しぶりに実家に顔を出して来た。片道2時間かけて帰って、滞在したのも2時間くらいだった。でも父親と必要な事を手短に、かつ十分に話し、密度は濃かったので悪くない「顔出し」だったと思う。小田急線の駅に着いてからバスに乗るのだけれども、その間に若干時間がある時には学生時代から決まって駅前の本屋へ入って時間をつぶしたり、「ラジオの制作」や「FMファン」や、その時々好きだった作家の文庫本を買ったりした。20年以上たっても同じ流れ。さて、何かバスや帰りの電車の車中で読むために丁度いい本はないかな。村上春樹の文庫本が出たんじゃなかったかな。もうしばらく前だ。「海辺のカフカ」…。あれ、最近文庫本って高いんだなあ。最初の数ページを眺めて、読みやすさから短編集の「神の子どもたちはみな踊る」にした。タイトルを見た時に富岡多恵子の「丘に向かって人は並ぶ」を思い出した。個人的に重要な一冊。本作とは全く関係はないのだけれども。
その日の車中で8割がた読んで、今日残りを読んだ。ほぼ一息に本を読んだのは久しぶりだ。割合本をよく読んでいた頃のリズムを思い出しながら止まらなくなった。短編集の最後の一編「蜂蜜パイ」のような関係はありがちなのかどうなのか判らないけれども、少なくともぼくは愚かなほど重ねて経験している。それはぼくだ、とも言える。「ぼくは何もわかっていなかった」 夜中の野球場のマウンドで空を見上げた時に吹いた風の鮮明さ、月のおぼろ。また、芸術的なたき火を燃やす三宅さんのユニークなオーソドックスさ。”かえるくん”と”みみずくん”!の決戦では、久しぶりの村上ワールドの一端が懐かしかったりした。そして、神の子どもたちはみな踊る。
引越が振り出しに戻りそうになったり、大切な友だちが手術をする話を聞いたり、何だか現実味にかけた一週間の始まり。

丘に向かってひとは並ぶ 富岡多恵子

たとえば、ジブンというものの有る無し、意味と無意味、ムイミのイミ、そんなことを考えはじめてちいさく深い路地に迷い込んでしまう、そういう時期ってある。