敗戦から60年たったということでニュース特集や特番をテレビでも流している。60年前を「たったの」と思うか遠い昔と思うかは個人差。45年生きてきた者としては、生まれる15年前がその年なのだから「たった」と思う。今も戦争は続いているし、人は争うことを止めないのだろうなという諦めのようなものもある。ただ、何とか智慧を出し合って行けないものかと思いを巡らせることは無駄ではない。表参道で行ったという、今日は何の日?というアンケートに答えられた人が4割いなかったというのも個人差。知っているか知らないかというだけ。何の感想もない。消し去ることの出来ない歴史があり、それは間違いなく伝え続けられる。それを知る人が知ればいい。
日本の政治は選挙に向かっている。小泉さんは(自分の出生地のという意味での)地元から出ていることで、若干贔屓目になりがちなのだけれども、ここしばらくの間では好きな政治家だ。何よりとても分かりやすい。目的地点へ向かうために優先順位があるわけだけれども、その上位から手をつけているように思う。ただ、そのせいで勘違い的なことも表面化してきたりもしたけれど。今回の解散にしても1位郵政民営化それが駄目でも2位自民党再構築、どちらに転んでもいいような進め方は感心したし嫌いじゃなかった。
選挙について言えば、本当は民主党のこれからに期待しているのだけれども、今回は「郵政」を片付けてほしいという思いもあり複雑。純粋に候補者を見て決めようと思う。先にも書いたけれども、関心のない人は別にそれでいいのではないかと思う。一生テキトーに生きる人が6割を超える国というのも面白いじゃないか。その人や家族に「未来」があるのかどうかは別にしても。朝日に載っていた首相談話を自分メモとして残しておこう。
実家に簡単に顔を出し、戻って来て夕方のニュースを見た。戦闘は終息の兆しも見せず、火薬は破裂して人が死に、目出たいなんてとても言えない元日です。
しかし個人的には多少息が付け、強い意欲を持って迎える2004年。ともあれ区切りとしては今年もよろしくお願いいたします。
黙って仕事をしよう。そうしよう。そのために頑張ろう。完徹ができなくなった。ところどころ意識が飛ぶ。日曜の夜から寝床に入っていないのは確かなのだけれど、時間を使いきれていない。一度壊れているので壊れることに臆病になっていた。むしろ徹底的に壊してしまったらどうだ。それぞれの立場はその立場なりに大変だ。代わりたいなんて思わない。お金が余っている人も、暖かい家に住む人も、戦争の国に住む人も、忙しさと引き換えに充実感を得ている奇特な人も。無謀な忙しさは人を殺伐とさせる。空を戦闘機が飛び回って地上は焼け野原だ。着の身着のまま、当然余裕なんてモノはなし。暖かい家なんて想像すらできなくなってしまった。それでも野辺を歩いていく。歩くために歩くように、歩く分にすら足りない稼ぎに火を燈しながら。