選挙をはじめとした国や自分が所属する自治体の運営に無関心な人ってどういう人なのだろうって、以前からの疑問。
長いこと国という大きな家の中で守られて意気も毒気も抜け落ちてしまった人たちがかなりの数居るということなのか。乳離れできない大きなベイビーたち。
もう少しだけ意志を持ったベイビーたちは駄々をこねる。愚かな民衆たち。もちろん僕もここに含まれる。政治家さんたちも大変だなあと思う。理想に燃えてぐいぐいとやりたいこともあるのだろうに馬鹿な民衆の声も聞く姿勢を持たなければいけない。
数って言うのは不思議なもので我々愚民が示した意思(民意)は時に微妙なバランスを持って表現される。今回の選挙結果もなかなかに面白い状況を生んだのではないかと思う。
選挙について考えても、無関心層についてはそもそも詮無い。
そうではなく棄権という意志を示しているのだとか、選ぶべき候補者や党が無いという「主張をする」人たちって、じゃあどんなタイミングで関心を持つの?
愚民は弱くて、我慢が効かない。特に現代は神輿に担いだ人を盛り立てようなどと言う奇特な人はほとんどいないようだ。小さな事に目を瞑っても、その仕事をシビアにチェックしながら少なくともこれを成し遂げてくれるまでは担いでおこうとか、そんな知恵や余裕は無いらしい。
さて、いいガッコを出た政治家さんたちが優れているかと言えばそうとも見えないのが実情。縄張り争いとかさ、旧態依然の政治システムはもうお腹いっぱいだよ。彼らだってあまり頭が良いとは思えない。
政党政治はもう止めたらいいんじゃないか。同じ方向の考えを持ったグループがいくつかあるというのなら判らないではない。それだって考えが全て一致する事などありえないわけだし。その辺が若い人たちと今の政治の中の人たちとの決定的なズレなのだと思う。違う世界の人たちなのだと思えてしまう。無関心に陥るのも判る。でも諦めてしまったらお仕舞い。
様々出てくる課題や法案について、必要に応じて適した人材が議論してより良い方向で決めて行ければ、それは我々から見ても判り易い政治になるのではないかって思う。
偶然なのか、こういう事が「民意」というちょっとした奇跡なのかは判らないけれども、今回生まれた微妙な状況がどう転がって行くのか、良くも悪くも面白そうではある。
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さて、人の興味なんて千差万別。例えば自分を例に挙げれば美味しいものは好きだけれども何処のレストランの何々シェフがというようなことは苦手。映画は好きでも映画俳優の名前が憶えられない。逆にとても好きなことについて人の理解を得られない事も結構ある。
誰かが、自分の住む街の事や政治的な事に興味が湧かないとしても何の不思議もないはず。ある意味それは水や電気のように身近なものかもしれないけれど、一生水や電気の事を考えずに過ごす人がいたっていい。投票率が100に近づいたりしたらそれはそれで気持ち悪い。
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結局は何がしかの気持ち悪さについて誰かに訴えたいだけなんだな。あちこちで余裕の無い人がネタを見つけては根こそぎほじくり出して袋だたきにしている。それはある個人に向けられたり、体制や業種に向けられたり、近くの国に向けられたり。
覚悟を持って慎重に、本当に建て直さなければならないことって何なのだろう。