ice cream castles in the sky

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チベットの廻りで

今も刻々苦しんでいるのかもしれないチベットの人たちのことを先ず想っていたい。姿がよく似ていて我々の精神のふるさととも言える人たち。(といわれている。確かに映像等の情報を断片的ながら昔から見ているとそんな気がする、だから)とても気になる。何か出来ないかと思って気持ちがザワザワしたのは正直なところだし、今もそう思っている。
ただ一方で、日本の東側に住んで情報の多くをインターネットから仕入れ、いろいろな角度からの見方がある事を知る時に、それならば客観的でいたいとも思う。911の時もそうだったけれども、一連の出来事には不可解な事象が無いではなく、様々な見解が出現したことを知っている。
ネットを廻っていて何経由だったか、こんなページを見た。

間違いなくぼくなどよりこの方面の知識は豊富な人が書かれているのは判るのだけれども、それが正しいかどうかは判らないが、何だか予め書き手が創造するストーリィがあって、それに現実の事象を当てはめているような感じに読めてしまった。物事ってそんなにきれいに割り切れるものなのかなあって思う。
でも確かにそういう側面もあるのかもしれない。知っておく事は悪い事じゃない。知ろうとする気持ちが大事。
資源、経済、政治等々からの見方、人の気持ちや痛みからの見方。
(上記ページとは関係ないが)大局から見たら小さな一個人の命などどうこう、という論じ方は嫌い。それは「あーいやだいやだ」という感じの「嫌い」、実際に大局と言われるものに飲み込まれたらどう考えるのかは判らない。あー嫌だ嫌だ。
そういう事もふまえて、今日の善光寺発で世界中に配信されたニュース

は、今現在の普通の日本人であったり、まして仏教人であったりすれば当然の判断だったのではないかとは思う。

チベット関連(2件)

 いま、どの国よりもチベット問題で中国に物を言うべきはわが国である。
 日本は、武力よりも、民主主義と国際法、人間の自由、文化・文明の尊重を以て戦後の道を切り開きたいと望んできた。同時に米国の占領政策によって、日本文明の粋を失う哀しみを味わってきた。だからこそ、ダライ・ラマ14世が「チベット文化の虐殺」と呼ぶ中国の弾圧に、率先して抗議しなければならない。日本と多くの価値観を共有し、日本に友好的であった国、チベットのために発言することは、日本が依って立つ基盤を守ることである。福田康夫首相が望むよき日中関係の構築も、日本が発言して初めて可能になる。

…考える事は表現の差こそあれ、同じ

国際チベット学者ら75人の連名の胡錦濤国家主席への手紙をご紹介します。オーセルさんのブログにあった中国語訳のものを翻訳。日本の学者さんもいらっしゃいますね。

…メモしておきたいので続きを読むの中にコピーさせていただきました。

For The People Of Tibet

ブログ検索をしてみると非常に多くの記事が見つかるチベット関連だけれども、報道は何らかの力が働いているのか、ちょっと静まってきてしまっている。
この数日例の聖火リレーのニュースによってまた注目されたのはいいが、そんなこととは関係なく現地では刻々とひどい自体が進行しているのだろうと想像する。
話はずれるけれどもテロ餃子についてもそう。すぐに流してしまうこの国のメディアって何かおかしい。
中国にとっても、欧米諸国が色々言ってきたり、五輪ボイコットというような動きがあったりすることはある程度織り込み済みだったのではないか。前にも書いたけれども、インドと日本がどう出るかが結構鍵なのかも。
政治家には色々な手法があるのだろうから、今のトップの表面的な部分のみを見てあーだこーだは言えないと思う。ただ事態は、20年後に日本および周辺諸国が恙無く繁栄していれば良いという、それだけじゃあ済まなくなくなっていることをちゃんと認識しているのかなあとも思う。20年後なんて分からないしね。
今はっきり言わなければいけないこと、表明すべき態度もあるんじゃないの。自立した国だというなら。

 

書寫山圓教寺執事長チベット問題へ声明

良かったら見て聞いて読んでみてください。なぜこれほど気に掛かるのかと思っていたのですが、(実際行って見たわけではないけれども)記憶の底にあるような子どもたちの風貌や景色というだけではなく、仏教の故郷であり日本人の源流とも言えるくにのことだからなのだと改めて気づかされました。

遥かなるチベットのことを書こう

チベットの自然や人々のことは遠い昔、本かテレビで知ったのだと思う。すぐに親近感を憶えた。その後も近しい存在として時々情報は届き、歴史についても漠然と知っている。でもチベットには行ったことがない。中国にすら行っていない。漠然としたまま書き始めてみる。
状況が悪化しているのはニュースの通り。何か書きたいと思った。でも会ったこともない人たち、行ったことのないくにについて何が書ける。多分、私なんかよりも中国の政治の中枢にいる人たちの方がチベットについて何十倍も考えているだろう。それは利権とか資源というようなことだけではなく、当然人々のことも考えているはずだとは思う。それなら、どうして?
市民という意味で私と同じ立場の人たちや若者やおばあさんまでが中国の軍人に殴られ蹴られていた。殺された人もいる。そのような映像は信用できるものだと思う。許せない。
中国の人の考え方、中国の経済力・軍事力と、チベットの人の考え方、他の国々の反応、たとえば隣のインドの人の対応、利害関係を想う。日本はどうか。
中国が急激な発展をする中で、目をつぶって来たことや気にしてこなかったこと、欲をかいてしまったことがあるのだろう。他の国も経済とか産業なんてもののために一緒に目をつぶっていたのだろう。それで国としての遺憾の声は挙げにくくなった。
まるで始まりを告げるように上海でBjörkが歌った様子をYouTubeで見た時には、すげーなと思わず拳を握った。こういう事態になってあらためてそれを見るともっと違う感情がこみ上げる。Björkはよく聞くアーティストの一人だけれども、そういうことを超えて。
零にほとんど近いほどの無力感を感じている。多くの人はそうだろう。
遥かなるチベットのことを書こう。