アフリカ格言
Twitterで@Umeda_YoHinTenさんが紹介されていたアフリカのコトバ
「ガゼルは最速のライオンよりも速く走らなければ殺される。ライオンはもっとも遅いガゼルよりも速く走らなければ餓死する。
あなたがガゼルとライオンのどちらなのかは重要ではない。太陽が昇ったときに、あなたは走り出したほうがよい」
だよな、うん。すごく納得した。
こういうことが分からなくなっていたりモヤモヤした中に埋もれてしまっていたりするのが今なのだと思う。
食事
定時の食事という行事をしなくなって1週間が過ぎた。
体型が気味悪くなっているとか、それに伴い息が上がるということもあったが、何時ものようにただ何となくというきっかけで始めてみた。
栄養補給は大きなものは平均一日一回。特に決めてはいないが。その際に炭水化物を少し摂る。その他の時間にはトマトジュースを飲んだり、チョコレートを齧ったりしている。
酒は呑んでる。これも何時ものこと。
金がないということもある。食費を削れば(元々がたいして使っていなかったから微々たるものだが)幾らかは他に回せる銭が出る。
何かを絞ることで何かが見えてくるのではないかという想像もした。これが一番決定的な理由かもしれない。
見えるべきものが見えなくなっているし、見られるべきものが見られなくなっている。
目を凝らし耳を澄ませても駄目だった。金銭的な困窮や体調の悪化よりもそれが深刻だ。
見えなくなっていたものを取り戻したい。
気がつかないうちに見えなくなっていたものは色々あったらしい。
体を絞ることとは別に、最近では姿勢に気をつけている。子供の頃から側湾症で姿勢が悪く首を大きく右に傾ける体制がデフォルトだった。でも絵を描くのは得意だったし、視線にはそれなりの補正がかかっていたのだと思う。
姿勢を気をつけるようにし、あらためて水平というものを感じてみると世の中が別のものに見えてくる。世界の広がりや物の正しい形が見えてくる。
僕はもう一度絵を描いてみようと思っている。
カミノ手
ブラックボックスに手を突っ込んでごそごそと
別に骨や肉や血をどうこうというわけでなく
いやまあそういうこともあるかもしれないが
そこに立ち風景を見定め呪いをかけること
または立ち竦み呪いをかけないこと
Designed by Apple in California.
ライターの林信行さんが書かれたWWDC2013のファーストインプレッションが際立っている。
もし人々がみな、追われるようにして作れるものすべてを作っていたら、
いったい誰が1つのものを極めてくれるのか
我々は「便利」を「喜び」と、
そして「豊富さ」を「選択の自由」と勘違いし始めている
何かをデザインするためには、焦点を絞ることが大事だ
そして我々が最初に問うのは、人々にどう感じてほしいかだ
例えば、「喜びを与える」「人々をつなぐ」……
その後、我々はその意図に基づき、手を動かし、作り始める
これは時間のかかる作業だ
1つ1つの“YES”の背後には1000の“NO”がある
我々はものごとをシンプルにし、完璧なまでに洗練し、
我々の作るものが、1人1人の人生を変え、
心に触れるようなものになるまで、
製品のそこかしこに手を入れて、何度も作り直す
そこまでやって初めて、我々は製品に署名を入れる
「Designed by Apple in California.」と
開幕して最初のビデオにガツンとやられ、途中そのDesigned by Apple in California.のメッセージに背筋がシャンとし(think different以来かも)、最後のビデオで静かにクロージングした今年のWWDC。
流石に見るべきところを見ていると感じさせてくれる記事のなか、Appleからのメッセージを訳し紹介されているのが上記の引用文だ。
最後のビデオはCMとして流れる予定だと言う。それは比べてしまうとthink differentのようなインパクトは無い。どちらかといえば淡々と地に足をつけ、生活の中に静かに染み渡って行くようなイメージ(このウェブページの美しさはなんだろう)。
それでいい。そこがいいのだと思う。ジョブスではなくクックの時代のAppleの本当の幕開けだったのかもしれない。
それにしても、新しいMac Pro欲しいなあ。
「仕事用のMac」に手が届かなくなって、古いMacやノート型で作業をやり過ごすようになっていたここ数年。もちろん現行のMac Proが一部のその筋の専門家の道具におさまってしまっていたこともある。今広告デザインの仕事をする時にiMacやMac miniでも十分なほどMacは進化した。ノート型でも同様。Mac Proが別格の位置に行ってしまってからはMacBook Proがある意味最高のマシンだったと思う。
そこにMac Proは戻ってきた。詳細や価格は秋深くならないと分からないが、昔のように(例えばあのグラファイトのG4タンクで仕事をするぞ!というような)仕事への意欲までかき立ててくれる最高峰のマシンが帰ってきたのだと思う。
ガード下暮らし
今の部屋は小田急のガード下にある。
といってもガードを屋根代わりに浮浪暮らしをしている訳ではなく、アパートの窓から斜め上を見上げると小田急の線路があるという位置取り。
一昨年あたりはいつ(本物の)ガード下暮らしになってもおかしくないなと思っていた訳で、ある意味予想は的中したということか。
幾多の引越の中で、線路脇は無意識のうちに避けていたような気がする。何十年も前、まだ実家にいる頃テレビの青春ドラマで見たり、フォークソングの歌詞に出てきたりする線路脇の部屋は自分には合いそうもなかった。「独り暮らし」への憧れはあったけれど。
この部屋へ引越す時は線路がどーとか、日当りがどーとか言っている場合ではなかった。這々の体で探して見つかったこの部屋は奇跡的な条件と窓の雰囲気が魅力的だった。
ガード下の件だけれど、これが意外に静か。多分裸の線路だったらたまったもんじゃなかっただろうけれども防音コンクリートでしっかり包まれた頭上の線路は窓を閉めていたら電車が通ってもほとんど気にならない。窓を開けてもまあ我慢できるレベル。
ちなみに騒音で一番参ったのは日本橋堀留町の部屋だったかな。一方通行(だから車は飛ばしたい放題)の太い道路が窓の向こうにあって夜中まで轟々と響きほとんど窓を開けられなかった。
一つ問題があるのは、頑丈なコンクリートはコの字型の天井が無い筒のようなものだから音も遮断するけれど電波も見事に遮ってしまうこと。PHSが繋がりにくい。都内十カ所前後暮らした街の中で2度目。1度目はたまたま近くにアンテナが無かっただけらしくレンタルのホームアンテナを使ったら何とかなった。今回はホームアンテナの力を借りても駄目。そもそも電波が届いて無いのだから増幅しようがない。コの字型のコンクリート筒は電車が通ると鉄の塊で満たされる。その状態で僅かにあった電波は完全に消えて通話中の電話もプツリと切れる。
仕事場と兼ねているから、割合都心部を点々として来た。今回のように私鉄沿線に少し離れたのはほとんど初めてだがこの街はとても気に入っている。部屋も当初は急場凌ぎと考えていたけれど、住むほどに悪くないと思えてきた。どこに住むかよりも、どう住むかだと考えられるくらいには歳も取ったのかもしれない。
それでも死ななきゃ治らない病なのか、次の引越を考えてしまう。ここより良いところはなかなか見つかりそうにないことは知っているから今年やってくる契約更新はするつもり。でもその次はわからない。