7日後、親知らずを抜く
数年ぶりに歯医者へ。
どうしようもない痛みがある訳ではないが、外れてしまった詰め物が2カ所あり、その一方はちょっとヤバいことになっているのが分かる。それに古い治療でガタが来ている部分も多数あり覚悟を決めた。
前回堀留町にいる頃かな、通った歯医者は完治前にリタイア。今度は完走を目指す。今まで歯医者は近代的な設備のあるところから、田舎の老医師が歯を削るところまで様々通ったのだけれど、今回はこの町に昔からある落ち着いた雰囲気。
ヤバいことになっている歯は所謂親知らずポジションの歯。普通20代前後で抜くのだろうけれどそれをやり過ごし、虫歯になった時にもその時の歯科医と相談して治療し詰め物をして歯を残すことを選択した。
このまま使い続けようと思っていたのに、ある日あっさりと詰め物は落ちた。
ここしばらくは歯医者どころではなかったため放置していたら再び虫歯に。神経を抜いて治療済みの歯でも虫歯になるんだね。 ただ、何かが当たれば痛いがその歯を使わないようにしていればなんてことは無い。それでずるずると引き延ばし気付いたらヤバいことになっていた訳だ。今回の歯科医は抜歯を即決。こちらも異論は無かった。
そういう訳で次回、7日後、親知らずを抜く。この年になって、恥ずかしながら。
10連勝
トロントがなんと10連勝で単独最下位を脱出。すご。
それも昨日今日と2位ボルティモアを叩いてくれたお陰で若干停滞気味な我らがボストンレッドソックスの1位も安泰。えへへ。
トロントには不運だがこの地区は最下位が5割越しているんだから難しい。他の全ての地区の最下位チームはすべて10ゲーム以上負け越しているのに。
それにしても今日も川崎打ったのか。いい味出してきたな、本業の方でも。
アフリカ格言
Twitterで@Umeda_YoHinTenさんが紹介されていたアフリカのコトバ
「ガゼルは最速のライオンよりも速く走らなければ殺される。ライオンはもっとも遅いガゼルよりも速く走らなければ餓死する。
あなたがガゼルとライオンのどちらなのかは重要ではない。太陽が昇ったときに、あなたは走り出したほうがよい」
だよな、うん。すごく納得した。
こういうことが分からなくなっていたりモヤモヤした中に埋もれてしまっていたりするのが今なのだと思う。
食事
定時の食事という行事をしなくなって1週間が過ぎた。
体型が気味悪くなっているとか、それに伴い息が上がるということもあったが、何時ものようにただ何となくというきっかけで始めてみた。
栄養補給は大きなものは平均一日一回。特に決めてはいないが。その際に炭水化物を少し摂る。その他の時間にはトマトジュースを飲んだり、チョコレートを齧ったりしている。
酒は呑んでる。これも何時ものこと。
金がないということもある。食費を削れば(元々がたいして使っていなかったから微々たるものだが)幾らかは他に回せる銭が出る。
何かを絞ることで何かが見えてくるのではないかという想像もした。これが一番決定的な理由かもしれない。
見えるべきものが見えなくなっているし、見られるべきものが見られなくなっている。
目を凝らし耳を澄ませても駄目だった。金銭的な困窮や体調の悪化よりもそれが深刻だ。
見えなくなっていたものを取り戻したい。
気がつかないうちに見えなくなっていたものは色々あったらしい。
体を絞ることとは別に、最近では姿勢に気をつけている。子供の頃から側湾症で姿勢が悪く首を大きく右に傾ける体制がデフォルトだった。でも絵を描くのは得意だったし、視線にはそれなりの補正がかかっていたのだと思う。
姿勢を気をつけるようにし、あらためて水平というものを感じてみると世の中が別のものに見えてくる。世界の広がりや物の正しい形が見えてくる。
僕はもう一度絵を描いてみようと思っている。
カミノ手
ブラックボックスに手を突っ込んでごそごそと
別に骨や肉や血をどうこうというわけでなく
いやまあそういうこともあるかもしれないが
そこに立ち風景を見定め呪いをかけること
または立ち竦み呪いをかけないこと
Designed by Apple in California.
ライターの林信行さんが書かれたWWDC2013のファーストインプレッションが際立っている。
もし人々がみな、追われるようにして作れるものすべてを作っていたら、
いったい誰が1つのものを極めてくれるのか
我々は「便利」を「喜び」と、
そして「豊富さ」を「選択の自由」と勘違いし始めている
何かをデザインするためには、焦点を絞ることが大事だ
そして我々が最初に問うのは、人々にどう感じてほしいかだ
例えば、「喜びを与える」「人々をつなぐ」……
その後、我々はその意図に基づき、手を動かし、作り始める
これは時間のかかる作業だ
1つ1つの“YES”の背後には1000の“NO”がある
我々はものごとをシンプルにし、完璧なまでに洗練し、
我々の作るものが、1人1人の人生を変え、
心に触れるようなものになるまで、
製品のそこかしこに手を入れて、何度も作り直す
そこまでやって初めて、我々は製品に署名を入れる
「Designed by Apple in California.」と
開幕して最初のビデオにガツンとやられ、途中そのDesigned by Apple in California.のメッセージに背筋がシャンとし(think different以来かも)、最後のビデオで静かにクロージングした今年のWWDC。
流石に見るべきところを見ていると感じさせてくれる記事のなか、Appleからのメッセージを訳し紹介されているのが上記の引用文だ。
最後のビデオはCMとして流れる予定だと言う。それは比べてしまうとthink differentのようなインパクトは無い。どちらかといえば淡々と地に足をつけ、生活の中に静かに染み渡って行くようなイメージ(このウェブページの美しさはなんだろう)。
それでいい。そこがいいのだと思う。ジョブスではなくクックの時代のAppleの本当の幕開けだったのかもしれない。
それにしても、新しいMac Pro欲しいなあ。
「仕事用のMac」に手が届かなくなって、古いMacやノート型で作業をやり過ごすようになっていたここ数年。もちろん現行のMac Proが一部のその筋の専門家の道具におさまってしまっていたこともある。今広告デザインの仕事をする時にiMacやMac miniでも十分なほどMacは進化した。ノート型でも同様。Mac Proが別格の位置に行ってしまってからはMacBook Proがある意味最高のマシンだったと思う。
そこにMac Proは戻ってきた。詳細や価格は秋深くならないと分からないが、昔のように(例えばあのグラファイトのG4タンクで仕事をするぞ!というような)仕事への意欲までかき立ててくれる最高峰のマシンが帰ってきたのだと思う。