劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語@二度目

DVDが発売&レンタル開始になった四月二日より、延々延々、隙を見てはレンタルビデオ屋に通い続け、漸く借りられた&鑑賞した、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』。
……いや、ほら。
去年の秋、友人に誘われて劇場までこの映画観に行った時、ワタクシ、まどマギに付いて、なーーーー……んにも知らない真っ新状態で鑑賞するというチャレンジャーなことをしたので、テレビ編と前後編の劇場版の鑑賞終えた現在の状態で、改めて観てみたかったんだよね。

という訳で、本日の一本@アニメ。
『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』
以前も、このblogに観てきたよ報告を書いたことがあるので、詳細は素っ飛ばす。
DVD発売になったばっかだしねー。
でも、今回は、容赦なくネタバレに関することもかなり鬱陶しく綴るかもなので、これからご覧になられる方は、読まれてはなりませぬ。

新編に至るまでの経過を知ってから観てみた後も、余り感想は変わらなかった。
この話、基本的には、「一見は狂気のように見える正気」の物語なんだと思う。
個人的には面白い話だとも思う、という部分も変わらなかった。
けれど、「『暁美ほむら』というキャラクターの目線から見た場合には面白いと思う」と言い改めたい。
んで以て、劇場でこの映画観た時は、色んな方が言われているように、ワタクシも途中までは、「この話、ワタクシがとっても愛している&傑作だと信じている、うる星やつらの劇場版二作目、『ビューティフル・ドリーマー』に能く似ている」と思ったけれど、その感想は消えた。
暁美ほむらが望んだもの──彼女が築いた偽りの世界は、ビューティフル・ドリーマーの中でラムちゃんが望んだ『永遠に繰り返される学園祭前日』のような、自らの願望や欲望のみで築かれた虚構の世界──要するに『夢』とは、全くの別物だと私は思うから。

ほんで。
「『暁美ほむら』というキャラクターの目線から見た場合には面白いと思う」と言い改めたい。と書いた理由は、彼女が、自身が知らぬ間に魔女になっていた、と気付いたシーン辺りから、どうにも違和感を覚えたから。
/人◕ ‿‿ ◕人\ ←これ──キュゥべえ@インキュベーターが、彼女を使って行った実験が云々の話になった際には、何処までも個人的に、違和感絶頂だった。
テレビ編の最終話で、暁美ほむらから、魔女なるモノのことや、円環の理に関すること等々を聞き及んだ結果、実験に踏み切ったと言うなら、その部分に関しては納得するし、違和感も覚えないのだけれど、ワタクシには、どうにも、この辺りの一連の流れが、『鹿目まどか』なる存在が、円環の理という概念と化して以降の世界の理屈に合致しない気がして仕方ない。
言葉にするなら、「何か違う」みたいな感じがする。
つか、鹿目まどかが、何時の日か魔法少女達を導く円環の理という概念であるならば、キュゥべえが如何なる存在であろうとも、暁美ほむらが如何なる存在と化そうとも、概念が概念として存在する世界の内側からは、概念そのものへの接触は叶わないんじゃないか、とか、そんなこと思っちゃうし、キュゥべえは最初から、暁美ほむらは悪魔と化した瞬間から、円環の理という概念が存在する世界の外側に出ているというならば、そもそもからの理屈が狂ってくるし(物凄く長くなりそうなので、以下略)。

……えーと。
うん、兎に角そんな感じで、結果、なんとなーーーく、もう一回観ない方が良かったかもなー、な気がしなくもない。
あ、でも、この映画をもう一回観てみて、もしかしたら私は、ものすーーごく、キュゥべえが好きなのかも知れない、と気付かされたのは収穫かも(笑)。
ひょっとすると、「愛してる」なレベルかも。キュゥべえ。
あんな生き物の何を愛しているのか、と言われるかもだけど(笑)。

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