レンブラント、フェルメールとその時代展/メソポタミア展

国立西洋美術館の「レンブラント、フェルメールとその時代展」と世田谷美術館の「メソポタミア展」を1日おいて続けて見てきました。

セザンヌもマティスも大好きだけれど、作品云々以前にもしかしたら性格が似ていたんじゃないかなどと思ってしまうのはフェルメール。大画家と比べることすらおこがましいけれども。また、そんな風に思わせるところが人気が出る所以なのかもしれないけれども(人気を伴った大画家となったのは死後ずいぶん経ってからだが)。見ているとドキドキしてきたり、誰かに会いたくなったり泣きたくなったりしちゃう。

なによりもフェルメールと思って出かけたのだけれど、フェルメールの作品は僅かしかなかったのが残念でした。「…の時代展」なのですね。それでもその一点のフェルメール「恋文」に満足。他の人の作品も悪くはないし。

前にも書いたけれどイベントにはひとりで出かけていくことが多かった。でも、このところ気の会う友だちと連れ立っていく。そのふたつの展覧会ともそうでした。ひとりで行けば誰かに声でも掛けられない限り黙ったまま見て行く(意外に声をかけられることってある)し、また、いままでは誰かと行ったとしても会場に入ってしまったらめいめいひとりの世界。出口でまた会うまでそれぞれの世界と感覚を旅することになる、という場面 が多かったな。

それがどうでしょ。一つ一つの作品を二人で見ながらあーだこーだと(もちろん小声だし、喋りっぱなしなわけはない)。完全に静かに見たい人はうるさかっただろうなあ(真剣に見入っている人って、少しぐらいの事は気にならないものでもあったりするけれどもね)。ごめんなさい。

「メソポタミア展」これは思っていた以上に面白かった。

世界4大文明展の一つとして開催されているのだけれど、こういう種類の展覧会がこんなに面白いとは。

ごく短いムービーの上映をところどころに挟みながら順路をたどる構成も飽きさせずとても良かったと思います。

古代文明って「せえの」でドンと現れたような印象をもちました。おさるさんからだんだん人間になったっていうの、本当なのかな?ドンと現れた分明で、ヒトはもう何かを作りたくて描きたくてしょうがなくて、そうすることがうれしくてたまらないという雰囲気が展示品からひしひしと伝わってきました。

それが徐々に洗練されていく時代の流れにも圧倒されたし、圧倒と言えばあのハンムラビ法典。あんなに大きくて迫力のあるものだとは知りませんでした。

余談だけれど、世田谷美術館と砧公園はとても思い出深い場所でもあるのでした。行ったの何年ぶりだったかな。

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