花のいのちというと儚いものの例えだけれども、3月にここに載せたうちのシクラメンさん、12月に八分咲きの状態で頂いて以来まだ咲いてくれている。
さすがにここへ来て気温が上がったこともあり日中は元気をなくすが、夜中は徹夜作業を励ましてくれるかのように足を踏ん張る。
次の冬の開花のことを考えたら、しおれ気味の花は摘んでしまった方がいいのかもしれない。でもそれはしたくないので水を上げる度にもう十分だよって話してみたがどこ吹く風。
今はどこまで行けるのか付き合ってみようという気持ちになって来ている。
そういうわけで今はすっかり家族のようだけれども、以前はシクラメンという花を手元に置きたいと思ったことは無かった。布施明が歌って大ヒットしたあの歌が、多分原因。子供心に「大人の世界の何か微妙な部分」を歌っているのは判ったし、加えて小椋桂のあのメロディーが決定づけた。自分とは関係のない世界の淀んだ光の中にある花という印象。
数年が経ちフォークシンガー的な側面からの興味でたまに小椋桂の曲を聞くようになり、そのオリジナル版によってやや印象が変わった。本来の雰囲気を知り、「驚いたように」や「疲れ知らずの」の部分の歌い回しが違うんだぜなんて友達に知ったかぶり。
そもそもシクラメンがどんな花かなんて知らなかった。そんな状態で変なイメージを貰っちゃったものだから実物を知った後もそれが邪魔をした。
こうやってそばに置いてみて、ようやく花本来のイメージに置き換えることができたような気がする。自由だけれどもけなげで、何より美しい。葉との対比やそのフォルム。冬の花の女王は悠々と初夏の光を浴びている。
海が目に浮かぶような歌が好き。
五月から六月、うりずんと呼ばれる過ごし易いこの季節に咲き始めるのが月桃の花だそうです。
月桃ゆれて 花咲けば
夏のたよりは南風
緑はもえる うりずんの ふるさとの夏
月桃白い 花のかんざし
村のはずれの石垣に
手にとる人も今はいない ふるさとの夏
摩文仁の丘の 祈りの歌に
夏の真昼は青い空
誓いの言葉 今もあらたな ふるさとの夏
海はまぶしい 喜屋武の岬に
寄せくる波は 変わらねど
変わる果てない 浮世の情 ふるさとの夏
六月二十三日 待たず
月桃の花 散りました
長い長い煙たなびく ふるさとの夏
香れよ香れ 月桃の花
永遠に咲く身の花ごころ
変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏
作詞・作曲:海勢頭豊
うた:朝霧舞
(写真:photolibrary)
今度の部屋はガスは使えるがコンセントが表に出ていないので毎年愛用していたガスストーブが使えない。上部が網になっていてやかんを置いたりとか便利だったのに。その代わり省エネ型のエアコンが付いていたからいいといえばいいのだけれども、足から冷えてしまうタイプだから何かをプラスしたいこの頃。サーキュレーターを置いて暖気を拡散するか、足元ホットカーペットか。
寒がりのくせに靴下を脱ぎたがる。靴下自体は嫌いじゃないのだけれども、外から帰るとパッと脱いでしまう。子供の頃はずっと冬はこたつ生活でこたつは靴下を脱いで入る事というのが家の暗黙のルール(というほど厳密なものではなかったか)だった。炭をおこして入っていた頃の名残だったのかもしれない。何歳までそんなこたつに入っていたんだっけ。懐かしいな。夏は裸足の方が気持ちよかったし、そういうわけで家の中では靴下を脱ぐ癖がついてしまったのかもしれない。
それにしても急に寒くなって来た。年々秋が短くなっていく。
夕べ腹が減り何か食事と、ついでに酒も少々と思い仕事場近くのコンビニへ向かう。交差点の手前少し前を歩いていたご家族と思われる3人連れのお一人おばあさんがおもむろに立ち止まり、斜め上を見上げて手を併せた。つられて見上げると中秋の名月。永遠のようにウサギが餅をつき続けている。ちょっと素敵な場面だった。
ふと気になったことがある。都内に住み始めて大分たつけれどもときどき気になっていたこと。ふと人が路上で立ち止まり手を併せる風景というのに割合よく出くわす。例えば神社なら神社の手前の路上から、あるいは参道の遠く手前から鳥居を眺め、しばし手を併せまた通り過ぎる。見ている方も少しだけ心が洗われるような気がして清々しい風景ではある。もちろん折々にはきちんと拝殿までお参りしておられるのだろうけれども、それには及ばない日々の簡単な報告のようなものをされているのかなと思う。
田舎だと神社とかお寺さんは子供にとっては遊び場だし、大人にとっても普通の生活エリアの一部だったりするんだ。うちは割合有名でもある神社を中心に広がった町だったから、参道の途中で旅館を営んでいたり、土産物屋をやっている家の子供と同級生なんていうことも多々あった。
都会の人から見る神社仏閣っていうのは、そういうものに対する敬虔な気持ちというのは同じでも、さらにもう一段敷居の高いというかきちんとしなければならない対象なのかなと思った。それから江戸っ子的なせっかちさってのもあるのかしらん。お月さんにしても、子供の頃は団子とススキを供えた縁側から見上げ、おばあちゃんと手を併せたりもしたけれども、それはそういうものだった。ふいにそういう気持ちになって路上で立ち止まってどうこうということはなかったし、そういう方を見たこともなかったので、所変われば的な思いを持ったのだろう。
あ、それから肝心な点としては、こんなに大勢の人が昼夜を問わず出歩いていたりはしないな、田舎では。