ice cream castles in the sky

一日の使い方

例えば一日の使い方。
6時間しっかり寝て起き、8時間ギュッと働き2時間本を読み、3時間勉強して、1時間ブログなど書く。残りの4時間は自由時間だ。すべて食事に使ってもいいしだらだらネットするのもいい。
こんな一日の使い方はもう決してできないような気がする。
寝ずに48時間仕事が続き隙間をこじ開けて妙な時間に雑な飯を掻き込む。
ずっとそんな感じだったしこれからもそうだろう。
仕事がない日が続くことも当然ある。そんな時には反動からか徹底的にだらけてしまう。
仕方ないと思っている。でも、最初に書いたような形は無理だとしても自分なりの理想形ってのもあるはずではないのかな。

EVを保護し、太陽光発電で充電する駐車場システム

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via wiredljp
据わりの良い風景だと感じる。多分こうなって行くんだろう。車は運転の必要がない小型のものになりこういう駐車風景があちこちに見られるようになる。各家庭にももちろん。あれ、そうなるとガレージっていう文化みたいなものはどうなっちゃうのかな。

絶滅危惧種

人間によく似ている別の生き物。通常ライオンがヒョウに恋愛感情を持たないように彼も人類のある個体とそういうことにはならない。ごく当たり前のこととして(ライオンとヒョウのように。またはヒトがゴリラを見る時のように)交尾に至るようなプロセスとしての恋愛感情は欠落している。それはお互いに。
よく似ているものだから、若い頃は事故のようにそういうことも起こってしまった。交わっても決して愛と言われているような感情には至らないものだったが。
ただこれから先には事故すら起こりえない。人類的に言うともう造形として若くないし、彼と同種の生き物はほとんど存在しないと思われる。
そう思い至ると数十年のほとんどの出来事につじつまが合うような気がしたのだった。
ところがある日、いつものように夜中まで仕事をして気晴らしにとコンビニに向かう道の途中、一人英語で話しながら歩いてくる若い女性とすれ違う。その人は独り言を言っているように見えたけれども多分イヤホンマイクを使い電話をかけていたのだろう。何だか開放的な雰囲気がして夜道の中で彼女の周りがふわっと明るく浮かんでいるように見えた…
…っていうような話だったと思うのだけれど、何だっけ、これ。

ココロノアリカ

仏像を彫っていた人が「魂を込める」なんて言い方をしたそうな。それは何とも仰々しい印象があるけれども、要はココロを宿すような作業だったのだろう。
もともとココロはここにいた。右手のココロ、おちんちんのココロ、頭のココロ。怒りとか悲しみとか喜びとかにもそれぞれココロがいた。
遠く離れてしまってからどのくらい経ったのだろう。ただいま。おかえり。帰ってきたのですか?よくわからない。何かが変わるのかな。
今を動かしていくしか無いわけで、ココロが心に帰ってきたのなら、何かを動かそうとするだろう。
不在の間、荒れ果ててしまった我が家を眺めてみる。何から片付けていこうかね。そんな事すら思わなくても良くなったのかな。

いつか消失する空地にて

後で酒のツマミになるように記録しておこう。
喪失、裏切り、脱力、複数の心配向きなどなど周りが大変賑やかで、仕事激減、天災、首くくりと続く(まあ、実際はくくってないけれど)。
それはそれとして、自分はどうするかと考えて1年無茶をすることに決めた。勝手に決めても仕事は向こうからは来る訳が無く、いくつも面接をし足を棒にして結局決まったのが夜通し力仕事ってやつ。これを平日帯で入れて昼間は細々と本業のレギュラー仕事をしながら立て直しを図る。途中更に週末夕方にバイトを入れた。これで完全に眠る時間は無視された形で、この1年まともに寝た日は無い。それでも通勤電車の中と家でのごろ寝で平均2時間/日ほどは稼げたかもしれないのは上出来。
そんな1年が開けようとしている。まあ、よく頑張りました。ただし経済的には全く何も残っていない。蓄えもこの先の見通しも何も無い。帯の仕事の時給はあまり良くなかった(状況からして日払いまたは週払いしてもらえるところ以外は無理だった)ので食いつなぐのでやっとだった。
もちろんリスタートに向けて作戦はいくつか打っていたが、毎度のことではあるけれどもなかなか思うようにはならない。それでも牛丼屋に座ってふと明日のことを考えて涙がざあざあ止まらなくなったり、体のあちこちから血が流れ出して途方に暮れたりするまでには至っていない。まだなんとかなるのだろう。
そんな一年。
言葉にしてしまえば大したことはない。最初、どこかに弱音を吐こうと思った。誰かが読んでくれるかもしれない場所に。年齢、なのかな、誰も相談したり弱音を聞いてもらったりする相手がいない。若い頃は逆にそんな誰かはたくさんいたけれども、そもそもあまり弱気になったことが無かった。子供の頃は弱音云々以前に良く泣く子だった。兎に角わーんと泣いてお仕舞い。弱音の虫も生まれる暇がなかっただろうな。
まあ弱音なんてものは吐いたって空しいだけなんだとは思う。余計に追いつめられたりする。それもこれも酒のツマミ。多分後数年すれば。そのために吐いておく。
と、5月の半ばにメモ書きしていた。
今はそのリスタートとやら直後。いつものことながらプチ奇跡と突き落とされるような蒼白感が立て続けに起こって、逆にそれで「戻ってきたな」と感じる。
これからどうなるのかな。1ヶ月したらまた無茶仕事を探している可能性もある。んなもん判りゃしない。
ここの更新はこれでお仕舞い。ブログ自体は止めない。でももうちょっと違うものにしようと思う。兎に角何も決めないで書いてきた。ジャンルも方向も更新リズムも何も無し。「日記」にはしたくないと思ったけれど、どうせ定期的に書ける訳が無かったのだから余計な心配だった。
三番以内のような特別な場所じゃない。その辺のという気持ちでの五番目の緑地。
いつか消失する空地にて。
この後は雑草も生え放題か。これにて御免。

あれから1年

今年はいろいろあって長い1年だと感じていたのだが、あれから1年と考えるとやはりあっという間。奴が好きだった酒を買って来た。

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