アジアシリーズ
さすがにバレンタインの采配にブレはない。選手も決定的なほどに気を抜いているということはないようだ。順当に行けば優勝できるだろう。マリーンズの選手の面々には想像以上のプレッシャーが掛かっていた事と思う。日本プロ野球の歴史の重み。負けるわけにはいかない大会。ゲームはミズモノだから分からない部分はないではないけれども、ロッテの善戦にさらに感情が入る。ともあれ今のところ、安心して見ていられそうだな。
神の子どもたちはみな踊る
日曜日に久しぶりに実家に顔を出して来た。片道2時間かけて帰って、滞在したのも2時間くらいだった。でも父親と必要な事を手短に、かつ十分に話し、密度は濃かったので悪くない「顔出し」だったと思う。小田急線の駅に着いてからバスに乗るのだけれども、その間に若干時間がある時には学生時代から決まって駅前の本屋へ入って時間をつぶしたり、「ラジオの制作」や「FMファン」や、その時々好きだった作家の文庫本を買ったりした。20年以上たっても同じ流れ。さて、何かバスや帰りの電車の車中で読むために丁度いい本はないかな。村上春樹の文庫本が出たんじゃなかったかな。もうしばらく前だ。「海辺のカフカ」…。あれ、最近文庫本って高いんだなあ。最初の数ページを眺めて、読みやすさから短編集の「神の子どもたちはみな踊る」にした。タイトルを見た時に富岡多恵子の「丘に向かって人は並ぶ」を思い出した。個人的に重要な一冊。本作とは全く関係はないのだけれども。
その日の車中で8割がた読んで、今日残りを読んだ。ほぼ一息に本を読んだのは久しぶりだ。割合本をよく読んでいた頃のリズムを思い出しながら止まらなくなった。短編集の最後の一編「蜂蜜パイ」のような関係はありがちなのかどうなのか判らないけれども、少なくともぼくは愚かなほど重ねて経験している。それはぼくだ、とも言える。「ぼくは何もわかっていなかった」 夜中の野球場のマウンドで空を見上げた時に吹いた風の鮮明さ、月のおぼろ。また、芸術的なたき火を燃やす三宅さんのユニークなオーソドックスさ。”かえるくん”と”みみずくん”!の決戦では、久しぶりの村上ワールドの一端が懐かしかったりした。そして、神の子どもたちはみな踊る。
引越が振り出しに戻りそうになったり、大切な友だちが手術をする話を聞いたり、何だか現実味にかけた一週間の始まり。
Amazing Grace
iTMSでアメイジング グレースを買ってみた。この歌手がミュージカルに出演するようになったりスタンダードな曲を歌うようになった頃、テレビで見た事がある。声とか歌唱に自信がある事は伝わって来たけれども印象に残ったのは曲自体よりも、ああこの方は努力しているんだなあという事柄だった。もともとアイドルだったという美しさも相まって。
ようやくこんなきっかけで一曲ちゃんと聴いてみた。とても伸びやかで抑揚が効いていて心に響く歌だった。でもこの人はもういない。こんなすれ違いや一時期の思い込みによる機会の損失ってたくさんある。取り返しがつかない悔しさをしっかりと記憶していく。
テンペスト/ダリ/Wataridori/シークレットウインドウ
レッドソックスのシーズン終了くらいから最近まででTSUTAYAで借りて観たもののまとめ、メモ。
テンペスト
監督デレク・ジャーマンはシェークスピアの同名の戯曲を読んで感銘を受け、いつか映像化したいと強く思って、そのために敢えて舞台を見ることは避けていたのだとか。そのためか(もちろんジャーマンならではの解釈はあるのだけれども)意外に正面切ってじっくりと作り上げているという印象を受けた。それだけ本が良いということなのかな。昨今似非ファンタジーやら似非パロディやら(は、ここでは関係ないか)訳の分からないものが反乱しているけれども、こういう優れた作品をじっくり観るとファンタジーが本来持つうつくしい手触り感や裏に潜む悲しみなどを思い出させてくれる。Toyah Willcoxが良かったなあ。どうもあの方向に弱いみたいだ。Björkとか、日本でいうと内山理名とか、ソニンとか。自覚しているゾーンとはちょっと違うんだけれど。ホンノー?
サルバドール・ダリ
ダリの芸術家としての一生をまとめたドキュメンタリー作品。と言ってもあのダリについて、なので結構脚色してある部分もあったような気がする。ダリの絵は面白いものもあるけれどもそれほど好みではない。どう生きたのかとか交友関係に興味があって借りてみたのだけれども、目新しい発見はなかった。
Wataridori
映画公開時にとても観たかったのだけれども都合で行けなかった作品。DVDには久世光彦が脚本を書き、安田成美ナレーションの日本語バージョンが入っていたのでフランス語の響きも捨てがたかったのだけれども日本語版で観てみることにした。こういう記録モノは非常に好きです。だから期待していたし、実際期待通りだった。CG無しでまるで一緒に飛んでいるかのような驚愕の映像の連続、やっぱ映画館で観たかったな。それにしても、奴ら(Wataridori)は凄い。こういう映像を見るたびにニンゲンってのは地球にいる生物の、ある一系統にすぎないのだなと痛感する。
シークレットウインドウ
オーソドックスで起承転結がある、こういう映画らしい映画もたまには良いな。腰を落ち着けてずっぽりと画面の中に引き込まれてハラハラどきどき。ジョニー・デップは好きな役者で彼の作品というだけで割合良く観たりする。他にそう言う役者はあまりいない。もともと役者の名前とか憶えられないほうだし。彼を好きなのはちょっと気怠げな佇まいや、薄膜一枚向こう側にいるような儚げな存在感。逆にそのせいで彼が演じた役はよりリアルに感じるような気がしている。要は波長が合うのだろう。ちなみに一番好きな作品は「デッド・マン」。
シークレットウインドウでは少し気の弱い大衆小説書き。脚本はちょっとできすぎかなと思うほど良くまとまっているし、配役もジョニーの他もハマっていた。鏡の向こうとこちら、主人公の作家の幻と現実、ちょっとできすぎと言ったのはそういう多層構造が美しいカタチをしすぎているような気もしたから。でもかなり楽しめたよ。
Folon
ニュースを見落としていたのかもしれないのだけれども、なんとなく絵を見たくなってたまたま検索していたらこんな記事が目に入った。四国新聞によると画家のJean Michel Folonが亡くなられたとのこと。
20代の頃に見た展覧会の中でも印象に残っているもののひとつが鎌倉の神奈川県立近代美術館(だったかな?後で調べてみよう)でのフォロン展。色彩と、画面のこちらと向こうを静かに結ぶような空気感を忘れる事はない。ご冥福をお祈りします。
ジャンミッシェル・フォロン氏(ベルギー生まれの画家・彫刻家)AP通信などによると、20日、白血病のためモナコの病院で死去、71歳。
建築を学んでいたが画家を志してフランスに渡った。当初、フランスでは評価されなかったが、作品を米国の雑誌に送ったところ、ニューヨーカー誌などで紹介され注目を集めた。水彩画やイラストのほか、彫刻やグラフィックアート、地下鉄駅の巨大壁画など幅広い分野にまたがって独自の世界を展開。日本を含む各国で作品展が開かれた。(パリ共同)
からだのバランス
『ダイエット?』っていうエントリで書いた事について若干追記したい事があったのだけれども、何となく日々の泡。
そう、ダイエット?さらに若干進んだみたい。余り目に見える変化はないのだけれども。