Mighty Mouse
Appleから出た新しいマウスMighty Mouse、これは良い。指先をタップさせたり、スクロールボタンをそっと転がしたり、細かい作業にも、大きく画面を動かしたい時にも繊細かつ大胆に応えてくれる。ウェブ画面のスクロールのことが宣伝等では語られているけれども、僕がいちばん重宝しているのはイラストレータやフォトショップでの画面スクロール。今までスペースバーを押しながらマウスをプレスしてずりずりと引きずっていたものが片手の指先で軽くころころってやるだけで出来ちゃう。それも微妙な移動から大きなページスクロールまで。これはPowerBookのトラックパッドスクロール機能で得た感動に等しいものがある。
多ボタンになったからといって何も難しく考えることはないみたい。もしアレならワンボタン的にも使えちゃうし。
もちろん僕の使い方にぴたっとはまったというだけのことだし、人によっては使いづらいという人もいるのかもしれないから、店頭で触ってみることをお勧めするけれども「Mac文化」に馴染んでいて、今までのマウスを使って来た人ならごく自然に使いこなせるのではないかな。
Mighty Mouseを買う前にWindowsを導入していたらポインタの動きの繊細さはさておき、スクロールホイールって案外便利かもなんて思っていたかもしれないけれども、Mighty Mouseを知ってしまった後では他のマウスは(Windowsに限らず)吹っ飛んじゃった感じがするよ。そうそう、これってWindowsでも使えるらしいんだ。
Windowsデビュー
ウェブ方面の仕事が増えて来たこともあり、しばらく前から表示確認のためのWindows環境が必要になっていたのは確かなのだけれども、時々ソフマップなどへ足を運んでは中古相場を眺め、機会をうかがいつつもなんとかなるさとやり過ごして来てしまっていた。
ところが先日、なかなかお得(そう)なマシンを見つけて即買い。Windowsデビューとなったわけ。日立のFLORAってマシンで普通は業務用に出荷しているアウトレット品なのだそうだ。Celeron® D-2.66GHzのCPUで、グラフィック性能とハードディスクは物足りないもののオフィスも付いて5万円だった。
持ち帰りセッティングしてMacintoshのモニタの余っている一系統に繋ぎ電源を入れた。へぇ、電源の入れ方はMacintoshと同じなんだ、と思いつつよくよく考えればMacintoshはもともとキーボードの電源ボタンを使っていたわけで、Macintoshの方がWindows方式に合わせたのね。
最初に入れたソフトはiTunes(笑)。別にこのマシンでiTMSを使うわけではないのだけれどもなんとなく。様々適当に設定しながらキーボード・マウスの感触も確かめる。それぞれ付属していた純正品なのだけれども、キーボードのタッチは悪くない。マウスはごく普通なのかな。Macintoshの繊細な感触に慣れているとひどく無骨な感じはするけれども。自分のマシンとして購入したのは始めてだけれども、お客さんのWIN機のインターネット設定をいきなりやらされたり、友達のを触らせてもらったりしたことはあるので、設定もだいたいはスムーズに終わった(ような気がする)。一つだけ手こずったのは共有プリンタの設定。結局どうにもならなくてウェブ検索して勉強しつつ設定した。なるほどこの辺がWindows特有の言い回しなのかと納得しながら。
これで一通り自分の用途には十分な状態になったのだけれども、新しいおもちゃが目の前にあればあれこれやってみたくもなる。デスクトップピクチャを変えてみたりいくつかソフトを落としてインストールしてみたり。そうすると分からないことがどんどん出てくる。たとえば基本的なところでは、かなと英数の切り替えはどうするんだろうなんてところからわからない。Macintoshなら問答無用でコマンド+スペースなのにな。まあ、そういうことを自分勝手に応用を利かせていくのも面白い。
確定申告等にも利用できるかもしれないし、まあお買い得だったんじゃないかしらん。
ザ・セル/アイ ロボット
ザ・セル
尊敬するデザイナーのひとり、石岡瑛子さんが衣装デザインを担当していたこともあり、公開時に映画館へ行って観たかった映画だった。結局それはかなわず、今回DVDで観ることができた。石岡さんのデザインはやはり素晴らしく、映画の魅力の大きな部分を担っていたと思う。
一つ間違えればひどく難解で見るに耐えなくなってしまう可能性もあっただろうし、描かれているのは冷静に考えればひどく残虐な犯行なのだけれども、映像の美しさによって観終わった直後はまるで明るいイタリア映画でも観たかのような錯覚に陥ってしまうほどだ。そう、それは錯覚で何かが胸の当たりに引っかかっている。重くて気持ちの悪いものだ。美しさとの落差故にそれは深いところで渦を巻き、だんだん大きくなってくる。
筋立ては思っていたよりもシンプルで、淡々としていたとさえ言えるくらい。それがまた後の嫌な気持ち悪さを増幅させる。この映画ダメなひとは100%ダメなんじゃないかな。ただ、心理の裏側に侵入して居座ってしまうようなこの嫌な感じが僕は気に入ってしまったので、とても印象深い映画になりました。
アイ ロボット
こちらはヒット作になった娯楽大作。CGモノというだけで毛嫌いする人もいるけれども、技術の進歩や新しい試みには素直に感心する。この中でもロボットの表情づくりが素晴らしい。強調しすぎず控えめな「演技」をしていたのが良かった。ウィル・スミスがやたらパイを旨そうに食べていたのも印象に残った。最近美味しいケーキとか食べてないなあ。
ロボットって実際にはどんな形で実用化されていくんだろう。企業等ではなく個人の生活の中へ。この映画でもかつてアトムがそうだったように「人型」で現れる。ロボットが担わされる役割は、一つではないだろう。それは移動手段であったり、防犯であったり、介護であったり、ペットのようでもあったり。当然「動くコンピュータ」なのだろうし、今Macintoshが仕事から趣味までいろいろ助けてくれているように、それが力を持って動くのならさらにいろいろな夢が膨らむ。当面今家に欲しいのは、うまい飯を作ってくれて経理と行政手続きをそつなくこなし、多少話し相手になってくれるような奴ならさらにいいね。足としっぽがあるコンピュータか。AppleがOSのコードネームにネコ科の大型動物の名前を使っているのってそういう理由だったのかな(笑)。
フォロウィング/猟奇的な彼女
フォロウィング
断片化されて捻れて、回想風なので一見分かりにくいけれども、そこに上澄みのように見えてくるものは素直な感情とか意外に上質な味わいのようなもの。ただ、時期が悪かったのか全然関係ないのになぜか主人公と例の「ピアノマン」のイメージがダブってしまって困った。
猟奇的な彼女
公開時ずいぶん話題にもなったと思うのだけれども、ようやく観ることが出来た。こういうなんてことのない楽しいどたばた劇は好きだ。たまたま自分の周りにも強力でチャーミングな女性が多ございますので、なおさら恐ろしく楽しく…。
新しい価値
若干の問題を抱えながらもiTMSJapanが始まったのは何を置いても目出たい。すでに普段なら3ヶ月で使うほどのCD代をつぎ込んでしまったこと。
他方、P2Pという技術(概念?)を知った時はひっくり返った。コンピュータを使い始めてそれほど長い月日が経った訳ではないのだけれども、少なくとも3回ひっくり返っている。友達の部屋で動くMacintoshを見て、こりゃいかんと思ったとき(これは正確には使用前)。次はまる2日かかってインターネットに接続できた時。それから、P2Pに出会った。
確かに著作者の権利を無視したダウンロードは絶対に駄目。でも世界中のコンピュータの共有フォルダが繋がって人々の叡智である様々な資産を必要な人が必要な時に引いてくることが出来る。全ての価値は一度壊れて、再構築される。これこそがコンピュータ…インターネット革命なのではないか。これで世界はいくらかは良くなっていくんじゃないか。ちょっと大仰だけれども、ざっくばらんにそう感じた。一部ではマイナス面だけが強調されているけれども、この「革命」の次を想像できないモノは終わっていくに違いない。
さてiTMS。「われわれは違法ダウンロードと戦う。訴えるつもりも、無視するつもりもない。競争するつもりだ」スティーブ・ジョブスの歴史に残るとも言える名言とともに始まったこのサービスの素晴らしさは人々を信頼するところから始めているということと、Appleらしく隅々までそっと気が配られていて使ってみると本当に簡単で楽しい、そんなユニークなシステムといえること。著作物には適正な価値が設定される。「提案」というような形で最初の価格は決められているけれども、それを所有したいユーザは自分にとって価値があるから手に入れたいと思う訳で、それは著作者に対価が正しく届くことで完結する。決してこそこそとタダで落としてきたりすることでは人は満たされないのだ。また、他方で著作者や管理会社、サービス提供会社の主張や利益が加味されてくる。そうして時間をかけて適正な価格は自然に決まっていくのだろうと思う。
先に行ったようにP2Pは素晴らしい技術だ。それが正しく活用されるためにもiTMSのようなサービスが堂々と在るということは大いに役立つだろうと考える。iTMSだけではなく、他の分野でもそれは起こってくるだろう。
「著作者の権利を無視したダウンロードは駄目」「価値は一度壊される」と書いたけれども、夜中に心から『ワシントン広場の夜は更けて』を聴きたくなって、P2Pソフトを使いダウンロードしたことがある。また、廃盤になってしまっていたり、日本では手に入れにくいものを探したこともある。それを見つけて聴くことが出来た時には非常に嬉しかった。ただ、こういうものに対価を手渡す仕組みがあったらもっと素晴らしいと感じた。
音楽だけでなく様々なファイルを例えばある非営利団体が一元管理するのが良いのかというとそうではないと思う。分散しているからこそ自由な価値の創造もあるのではないか。これから10年で何がどう変わっていくのか、そういうことに何らかの形で関わっていくことが出来るか。