遅ればせながら
ここのところサイトを整理したことや書いておきたい事柄ができて割合更新するようになったこともあり、おざなりになりがちだった自身のページにも少しは手を加えてみようと、そんな気持ちが湧いてきている。
実に今更ながらではある、faviconを付けてみた。いや、一時期付けていたことはあった。ウェブのあれやこれが物珍しくて楽しかった頃。
faviconについては、photoshopでは未だに作れないのかなと検索してみたところ、あるブログの記事からICOFormat.pluginというプラグインがある事を知った。これは素晴らしい。仕事にも使えそう。…kishin designさん、ありがとうございます。
以前のブログに「あわせて読みたい」というサービスのブログツールを付けていて、そのリンクから出会ったあるブログを時々読むようになった。そちらがMybloglogというサービスを使われているのを見つけて、これは何じゃろと思い自分でも付けてみたのがページ右袖の中頃にある赤いやつ。これはSNSの一種といえばいいのかな、でもmixiのように閉鎖的なものではなく、自由で緩い繋がりを実現してくれるもの。日本語化されていないこともあってまだ使い切れていないような気もするけれど、緩くやっているからいいの。
緩いと言えばTwitterというサービス。上に書いたブログさんはじめあちこちで見かけたり、専門書まで出ているのを知って気にはなっていた。ただ、流行り始めた頃手をつけそびれ、おざなりな状況も手伝いそのままに。
何かぽろっと一言更新をするのって面白そうで、かなり以前は普通の掲示板CGIをコンパクトにデザイン変更してブログのサイドバーにインラインフレームで押し込んだりしていたっけ。そういうわけなのでTwitterはシステム的にはとても興味があった。おまけにTwitter利用者どうしが(これまた)緩く連結される仕組みもいい。
以上、今頃始めた事への言い訳でした。
そういえばTwitterの日本語版が出たのって割合最近らしい。そんな事も知らなかった。
※チベット関連をふたつ
月桃
海が目に浮かぶような歌が好き。
五月から六月、うりずんと呼ばれる過ごし易いこの季節に咲き始めるのが月桃の花だそうです。
月桃ゆれて 花咲けば
夏のたよりは南風
緑はもえる うりずんの ふるさとの夏
月桃白い 花のかんざし
村のはずれの石垣に
手にとる人も今はいない ふるさとの夏
摩文仁の丘の 祈りの歌に
夏の真昼は青い空
誓いの言葉 今もあらたな ふるさとの夏
海はまぶしい 喜屋武の岬に
寄せくる波は 変わらねど
変わる果てない 浮世の情 ふるさとの夏
六月二十三日 待たず
月桃の花 散りました
長い長い煙たなびく ふるさとの夏
香れよ香れ 月桃の花
永遠に咲く身の花ごころ
変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏
作詞・作曲:海勢頭豊
うた:朝霧舞
(写真:photolibrary)
長野・聖火騒動の裏側
4/28に引用掲載した文章を書かれたアリさんが出演されるイベントがあるようです。
〔日時〕5月11日(日)19:30〜
〔会場〕阿佐ヶ谷ロフトA
〔出演〕アリ@freetibet、針谷大輔他
詳しくは以下のリンクで
i-morleyには、その他にも情報が渦を巻いています。
ボストン一喜一憂
先週、ようやく落ち着いて来たのかなと書いたとたんインフルエンザにやられ試合に出られない選手続出のボストンなのだった。一度歯車が狂うとなかなか戻らず、ついに一昨日まで5連敗。それでもニューヨークはもっと下位にいるところが奥ゆかしいけれども(ふふん)。
ただ、どれも悪い試合ではなかった。みんないつも通り懸命に戦っていたし、オルティスなんてセーフティバントを試みようとしたり(前に転がらなかったからよかったものの、それはいくら何でも無茶だって)、別の日には微妙な内野ゴロでファーストにヘッドスライディングしてみたり!これってすごい事だと思う。日本人で例えれば王や落合が全力疾走、頭から突っ込み!とゆーのと同じようなものだもの。アウトになって戻ったベンチで涼しい顔をしていたけれどね。オレは子供の頃からこういう野球をやってきたのさってなもん(そんな表情だった)。
その間バクホルツのようやく本領発揮の好投もあり、勝たせてあげたかったな。
昨日はレスターが素晴らしく切れのある球を投げパペルボンに繋いで零封!久しぶりの勝利に酔うことができた。今日の松坂もなかなか良く、連勝に貢献してくれた。
でもね、インフルエンザの選手が戻ってきたと思ったら、今度はけが人続出…。エルスベリに続いてドリューも負傷、とうとう外野の控えがいなくなっちゃった。シーズンはまだまだ長い。ここが我慢のしどころ。
長野・有森さんの映像
人が多いってことは下へ下へと裾野が広がるってことなのか。五輪方面で言えば、人口の多さに比例して極端にメダリスト独占という事にもならないわけだし、世界規模で学者や芸術家のほとんどを占めるというわけでもない。人間が出来る事の上限っていうのはある程度決まっているのだろう。クレイジーな天才は思いもしないところから現れる。
逆に闇の深さや広がりを知ると身震いする。人の多さは闇の深さ。360度暗黒、何キロ進めど針先ほどの光も無し。例えて言えばそんな感じか。それにしても、こんな明るいところからの想像でしかないわけだから、事実はさらに想像を絶するものなのかもしれない。人権を無視する手段、ニンゲンの壊し方、その具体例を見聞きして「そこまでやるのか」と感じたとしても、それは人の想像の範囲内ではある。下限もあるには、ある。そりゃあ生物はこうしたらこうなるよなという話。たんぽぽを折れば白い汁がでるわけだし。何が怖いかと言えばそれが集団催眠的に果てしない広さ、果てしない数字で起こってしまっているという事なのだと思う。
飲み込まれたらひとたまりもないし、そんな気配を感じたらできればすぐに自分をどこか別のところへ運ぼうとするだろう。
数日前を思い返す。長野のアレは「聖火リレー」なんていうお祭りではなかった。きな臭くイガラっぽい「事件」だったのだと思う。大きな爪がひっかいた痕があの赤い波だ。それとともに印象に残ったと、このページの下に書いた有森裕子さんの表情だけれども、見事に日本のメディアからは写真も映像も探せない。つべにもニコ動にも無し。唯一Googleを英語設定にして見つけたのが下のロイターの写真(本来貼るのはいかんのだろうけれども)だった。事件当日の夜、TBSのブロードキャスターに少し映ったのを見たけれども、保存できなかったのが残念。と、昨日asahi.comの映像ニュースの中に見つけた。思えば当日画面角の小映像ながら最後の方まで放送していたのはテレ朝だったし、有森さんのこともそこで見たのだった。
〈この”3″と”1″ではスタートとゴール地点で意図的にチベット弾圧反対派を分け離した様子が一瞬ながらちゃんと映っている〉
大手マスコミ・メディアには首を傾げたくなるような報道や記事もあるけれども、少なくともどの会社にも様々な主義主張を持った記者がいるのだろうとは思う。どこかの影響を受けて変に凝り固まったりせず、まんべんなく見て、賢く引用したり捨てたりして行けばいい。ただ、全体的にどの会社にも言えるのはお上(スポンサーとか、権力者とか)の方を向き過ぎ。(全くそっちを向かないというのはあり得ないが)読者側に重きを置かないで何のマスコミだろう。記者クラブがどうとか良く話に出るけれども、ちょっとタブーに突っ込んだ記事を書いたら取材できなくなったりするのっておかしい。脅迫じゃん、それ。
長野でも、それを発端としていろいろ聞こえて来た情報でも、警察組織にはそうとうストレスが溜まっているのではないか。日本で今一番引火し易い火薬庫はもしかしたら警察ではないのかというのは妄想し過ぎ?
長野・聖火リレーの現場から
「アリさんのmixiの日記」より、全文引用させていただきます。「続きを読む」のなかをぜひ読んでみてください。
アリさんという若者が聖火リレーの当日長野へ向かい、体験して来た事が綴られています。当然彼ら一個人から見たこの問題の断片ではありますが、事実ということの重みを感じます。
(mixiを見られる方はこちらのリンクからもどうぞ)私はmixiには入っていないのだけれども、友達が教えてくれ、送ってくれました。転載自由との事です。
書かれている事については、他の様々な情報も考えあわせれば信じられることだと思います。信じるという事は逆に暗澹たる気持ちにもなります。